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60代の哀歓こもごも

あ~ら、金土日と三連休だったんだ。 天気悪かったね。

それで、今日は月曜日。

三連休は、手話の復習をしたり、飽きたら、YouTubeで、文楽、能を観て過ごした。

なんだか悲しい演目ばっかりになってしまった。

文楽は菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)。

能は善知鳥(うとう)

 

ネクラだね。そんな心境じゃなかったんだけど、先般亡くなった吉右衛門のことを考えていて、「菅原…」の松王丸を観たくなった。

吉右衛門の当たり役。「菅原…」は5段?もある長い演目だが、「寺子屋」の段。松王丸は恩ある人(菅原道真がモデル)のため、自分の子をその人の子どもと偽って、犠牲にする。松王丸は首検分をする役目で、その自分の子どもの首と対面する。

このビジュアルで、悲劇の親を演じる。 この松王丸は三つ子のうちの一人。

この話は、菅原道真の「梅は飛び、桜は枯れる世の中に、何とて松のつれなかるらん」という歌から着想を得ていると言われている。

三つ子の元服するときの烏帽子親が菅丞相(かんしょうじょう。道真がモデル)で、三つ子は長じて長男の梅王丸は菅丞相に仕え、次男の松王丸は菅丞相を陥れた藤原時平(ふじわらのしへい)に仕え、桜丸は斎世(ときよ)親王に仕えている。最初の和歌の暗示、「梅は飛び(=流罪の道真を追って筑紫国まで来た) 桜は枯るる(=自害してしまった)世の中に 何とて松のつれなかるらん(=時平に味方するつれなさ)」のとおり。

 

松王丸が一番の悪役なんだが、いちばんキツイのも松王丸。

でも、この「寺子屋」の段では、長年溜めてきた本当の気持ちを爆発させるのだ。

そんな悲劇。吉右衛門は深い。深いのよ。(悲しい)

 

元はといえば「菅原…」は人形浄瑠璃。

人形浄瑠璃、文楽は、物語の語り手の太夫と、情景を伴奏する三味線弾きと、人形遣いとで成り立っている。 

伝統芸能は、めんどくさい、わからない、かったるいと思っている食わず嫌いも多いけど、太夫の語り、三味線の描写、まるで生きているような人形…と圧倒される。

あまりにもすごいから、歌舞伎でもやるようになったし、今でも名作として残っている。 

演じている人たちの鍛錬と精進の賜物。 こんなものを見せてもらえるなんてなんて幸せなんだろうと、文楽を観るたびに思う。

 

松王丸、寺子屋の段の首検分の場面。文楽だとこんな感じ(右が松王丸。手前に子どもの首。)

人形1体を3人で操作するのだが、顔がでているのが、主遣いでかしらと右手担当。頭巾姿の黒子が2人。左遣い(左手担当)、右遣いは足担当。

主遣いの顔が気になるという人が多いが、人形遣いは表情は現わさないから見る必要はない。慣れると気にならなくなるし、気になるのはハナシに集中していないからだ。人形だけ見てればいいんだよ。

この人形遣いのしくみがきになる方はこちらをどうぞ。

遣うしくみ:1体を3人で遣う|人形|人形浄瑠璃 文楽 (jac.go.jp)

 

「菅原…」の語りは、竹本住大夫(すみたゆう)さんだよ。断然。

人の情けを絞り出すように表現する。 松王丸の人間性はこの人を通して伝わる。

 

なんか、時間がなくなってしまったので、今日はこれでお終い。

つづきを書きます。To be continued. 

文楽、歌舞伎、能はYouTubeでも見られます。 ホンモノのほうが何倍もすごいけど…。

古臭いと思わないで、観てください。

なんか、辛いことがあっても、お前はまるで桜丸だなぁとか、これではわたしは松王丸じゃないか、とか…。 

もう辛抱はこれでおしまい。言ってやろう、暴れてやろう…とか、そんな時、伝統芸能が後ろ盾になってくれます。

悲劇なんて、星の数ほどあると思える。

吉右衛門さま、住大夫さま…。ありがとう。

伝統芸能は応援歌です。