アイリッシュマン | あらかんスクラップブック

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60代の哀歓こもごも

アイリッシュマン」、ネットフリックスでやっと観た。3時間29分の長尺だが、途中、氷を補充したついでにトイレで1回中断しただけで、一気にみて、堪能した。

 

監督は、マーティン・スコセッシ(下記画像の一番左)

原作はノンフィクション(伝記?)。スコセッシのギャング映画、フウゥ~~で、重厚で暗い映画だと思って、敬遠していた。

でも、見終わってみると、マフィア社会を描きながら、意外とドライな人間ドラマ。 つくりはていねいだが、洗練されている。

 

登場人物は多いし、50年にもわたる歳月のハナシ。

でも、主役の3名を押さえておけば、こんがらかることはない。

フランク・シーラン(ロバート・デ・二―ロ) 左から2番目

アイルランド人。 凄腕の殺し屋。

ラッセル・ブルーノ(ジョー・ペシ) 左から3番目

イタリアマフィアのドン。

ジミー・ホッファ(アル・パチーノ) 一番右

マフィアと互角に渡り合う労組のボス。

 

あと、時代は、1949年から2000年まで。

第2次大戦後のアメリカ。民主党の黄金時代。マフィアと結託しつつ、労組の巨大な年金資金で運用した金で、マフィアと労組が持ちつ持たれつで政治的影響を行使した時代。 そんな裏社会のお話。

 

でも、いきなりギャングのドンパチではない。 介護施設にいるフランクという老人(デニーロ)が、自身を回想する語りで進行する。

トラックの一運転手から、家族のために、マフィアのヒットマンとしてのし上がっていく…。

途中、70年代のワイフたちを伴った4人のドライブ旅行も追いながら、重層的な構成になっている。 ギャングの体当たり場面では、画面がストップし、その登場人物の死んだ年と死因がテロップで出る。ギャングの予後は短い命を散らして殺される運命。

 

 

スコセッシという巨匠と、デニーロ、アルパチーノ、ジョーペシという名優たちで、もう言うことなし。 なんと、リハーサルはしなかったという。アメリカには存在感のあるいい俳優がいるもんだ。

また、老年の俳優たちの若い時代は、若い俳優を起用せず、かといって特殊メイクではその年をカバーできないので、スコセッシは、CGで顔を若返らせる方法を採用した。 撮影時には標準カメラの他に、最低3台の特殊カメラが演者を取り囲み、顔のあらゆる動きのデータを集めて、後にクリックひとつでデジタル加工すれば、若い顔に修正されるという。

デニーロも、こんな感じで、顔が入れ替わる。今のデニーロは一番右。

この長い映画が、違和感なく、ストーリーを追えるのは、このCG若返りのせいかもしれない。 

 

さて、映画の中味だが、元ギャングの老人は、老境に入ってもなお、反省も懺悔もしない。 介護施設にたずねてきたFBIへの協力も拒否し、神父にも罪の告白をしない。 そんな事件もなく、心境の変化もないことを、スコセッシは延々と描写する。 マフィアの悲哀などもなく、まわりに感謝できるいい老人なのだ。

なぜだ?と考えるうちに、これまで、幼児洗礼の場面が何度も出てきたり、パンをワインに浸して食べたり、食肉の塊り、ステーキ、プロシュート入りのパン…。 なんか、キリスト教の暗喩があちこちにちりばめられていたような気がする。 なにか、宗教的メッセージがあるのかな?

スコセッシだから、そんなことも勘ぐってしまう。

 

もう一度、時間があるときに、観てみたいと思う。

最後に「In the still of the night 」の曲が流れる。 映画の最初もおなじ曲だった。 終わりじゃなく、またつながっていく。

 

シチリアからの移民一家で、リトルイタリーで生まれ育ったスコセッシ。 

アメリカのイタリア系移民、アイルランド系移民。 その労働と家族。 

そして、今のトランプが暴れまくってるアメリカ社会の差別や分断…。

余韻の残るいい映画です。

まだ、ネットフリックスでやってますので、 3連休、外出ガマンの人はぜひどうぞ。 損はしません。