父からの手紙「前半生の失敗経験から若き君に伝えておきたいこと」 -10ページ目

父からの手紙「前半生の失敗経験から若き君に伝えておきたいこと」

還暦を期に、団塊の世代を生きてきた前半生を反面教師として、若い君に伝えておきたい。これを老人の繰り言と取るもよし、教訓と取るもよし。私の願いはただ一つ、君の人生は君自身が決めて自由闊達に楽しく人生を謳歌して欲しいことだけ。

師を選ぶこと

戦後の教育の根本は、人より点数がよいことで人より豊かな人生が約束されるというゼロサム発想だったと思う。

だから問題に対する思考の途中経過はともかく、答えが正しいかどうかが採点基準だったような気がする。

これは成人してビジネスに取り組むようになってからは困り果てた。なぜそう言えるのかという論理的思考法の訓練が甘かったせいだ。

小学校から中学では生徒と先生の間にある種の心の交流があった。高校に入るとそれも薄れ、国語や漢文の教師で哲学的な面白い授業もあったが、中には論理的に説明しないし分からせようともしない数学教師や英語を話せない教師が教育指導要領というテキストに従って、同じことを同じようにやる全くつまらない授業が多かった。

そこには教師の人格に触れて啓蒙されるなどということはあり様がなかった。

このような傾向はいまも更に助長されていると聞く。全く嘆かわしいことだが、それを与件として自らどうするかを考えていくことが必要だ。

一方で、さらなる高みを求めて、自分から師と仰ぐべき先生を探し続けることが必要だ。

教職者のモラルが著しく低下している傾向があって難しいけれども、中には高い能力の素晴らしい人格の先生もいるはずで、それこそ「求めよさらば与えられん」ではないか。

この言葉は裏を返せば「求めなければ何も得られない」ことを言っている。

師を選ぶことは学ぶ者にとっては生涯の重大事で、ダメ教師と心中してはいけない。

良い教師は見かけは苦く、ダメ教師は甘く無責任だ。そういう輩を反面教師という。

学ぶこと

人生を豊かに生きるためには非常に多くの知恵が必要だ。

人は一生学び続けることで知識を知恵に変えて、より賢くなっていく。知恵を出す知識を吸収するのには若ければ若いほど吸収力が大きい。

知識を吸収していく上で最も大切なことは「なぜそうなのか」と問い続けることだ。

学ぶはマネぶの言葉通り、最初は無我夢中で徹底的に先達のまねをすることから始まるが、次いでなぜそうなのかと自分に問いかけていくことが大切だ。


その際、質問が如何に大切かを示す話がある。

ある男がアインシュタインにこう問いかけた。

「これから言う課題に対して解けなければ死刑に処す、という局面で一時間の猶予を与えられたとき、あなたはその一時間をどのように使いますか?」

アインシュタインは答えた。

「最初の55分は質問に使い、残りの5分で解を考えます」と。


まず暗記して覚えた知識を、次に組み合わせたり、組み合わせを変えるなどして持てる知識―知恵を総動員して考えることだ。

知識を得ることは、暗闇の中に明かりを付けていくことに等しい。最初は真っ暗だ、しかし知識を徐々に得て分かり始めると、もっと理解したいと思うようになるから不思議だ。自分が分かっていないことが分かるようになったら一段進んだ証拠だ。

夢は大きく持て

冒頭の人生論ではないが、自分の人生を全うするとは、如何に人さまのお役に立てるかということかも知れない。

封建的身分制度のもとで保守的態度でいることが列強の支配下に堕ちることを予感した龍馬は、己を亡くして薩長連合を結実させ、日本を列強から守り抜いた。同じく土佐っぽのジョン万次郎も漂流漁師でありながら、日米の懸け橋として生涯を終えた。

今の政治屋どもに聞かせてやりたいくらい、なんとも壮大ではないか。

どうせ一度きりの人生、小才を利かせることなく、自分のカラを自ら打ち破り、自分の可能性を最大限に発揮させて、壮大に生きてもらいたいものだ。