昨日の「前田青邨画伯」からのハガキの読み下しです。

 

拝啓 昨日喜多村緑郎来る。 頗る

話好きにて面白し一日も早く

御帰修之程待上候

 

甚だ恐入候得共 右の品是非ゝ御願ひ申上候

(白緑、焼金、ベロアイボー、ゴフン白郡)五品

 

拝啓~からの字は大きくて読みやすい字ですが、後ろから二行目は小さく読みづらい字でした。

 

明治43年の6月24日に安田靫彦画伯がまず新井旅館に来られ、その翌日25日に前田青邨画伯と喜多村緑郎さんが来られたようです。

喜多村緑郎さんは話し好きで面白い方と伝えています。

そして東京に出かけている相原寛太郎に、早く修善寺に戻るよう催促しています。

安田画伯の手紙から、どうやら相原寛太郎は、初代中村吉右衛門丈演じる6月27日が初日の、歌舞伎座の公演を見に行ったようです。

そして、前田青邨画伯らが新井旅館に来る目的は、療養と作品作成が主です。

日本画を描くための材料が不足していたのでしょう。

相原寛太郎に日本画の為の材料を買ってきて欲しい旨書かれています。

 

この年の7月7日第12回紅児会が開催されたので、その作品を書かれていたのかもしれません。

 

喜多村緑郎さん(1871-1961)は、初期の新派を代表する役者さん(女形)です。

 

明治43年、今から114年前の6月26日の出来事でした。

 

 

 

 

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