昨日の「石井林響画伯」からの手紙。
読み下しはいかがだったでしょうか?
其後 引続き御滞在のように傳承いたし
ましたが もう御帰りの事と拝察いたします。
さて其おり御話しいたしました雅邦翁の
筆塚もいよゝ進捗いたしまして昨日地鎮式
を済ませました 其席上、下村川合両先生初
め、委員まであなた之御寄附下さるやうな事
まで申出ました處、是非それは御賛成を
願った方がよいといふ事でしたから茲に改め
て私から御願申上ます。どうぞ至急に御
送達下さい(橋本宗次郎宛)
ついで又筆塚、本門寺、橋本家、それゝへ一巻づつ
納める門生連名に要する御芳名を別紙三枚
御認め御同封願ます。之は月末限りとしてあります。
六月二十二日 響生
その後引きつづきご滞在されていると言われていましたが、もうお戻りになられた事と思います。
さて、その時にお話しした橋本雅邦翁の筆塚もどんどん話が進み、昨日地鎮式を済ませました。
その席で、下村観山・川合玉堂両先生をはじめ委員の方々に、あなた様のご寄付の事を申し出ましたところ、「是非それはお受けしたい」という話でしたので、改めて私からお願いいたします。
至急橋本宗次郎宛てで送ってください。
また筆塚・池上本門寺・橋本家それぞれに一巻づつ納める門下生連名に必要なご芳名を3枚分お書き頂き御同封お願いします。
これは月末までにお願いします。
6月22日 林響
そんな文章ですね。
日本画家「橋本雅邦画伯」の筆塚の話です。
東京美術学校では、雅邦四天王と呼ばれた下村観山・横山大観・菱田春草・西郷孤月や川合玉堂などを指導、明治23年ころには当時の絵画界の最高位に登り詰めた橋本雅邦画伯は、明治41年1月13日にお亡くなりになりました。
明治41年4月14日には、橋本雅邦画伯の奥様をお連れして、石井林響・吉原雅風・廣瀬長江などが新井旅館に滞在をしています。
大正4年、その橋本雅邦画伯の筆塚をお弟子さんたちによって、東京大田区の池上本門寺に建立する話が進んでいました。
そんな話を石井林響画伯が相原寛太郎にしたところ、相原寛太郎が「自分も寄付をしよう」と話を持ち掛けたようです。
そして、下村観山画伯らが「是非その寄付をお受けしたい」ということになったようです。
橋本雅邦画伯の筆塚は、池上本門寺の中にあり、大正5年築の見事な九層の石塔が立っています。
本門寺に行かれましたら是非ご覧ください。
新井旅館のホームページもどうぞご覧下さい。
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