昨日の「今村紫紅画伯からの手紙」の読み下しです。

 

先ずは最初の部分。

 

 

拝啓 先日御出での節は

 

誠に失礼仕候。 去る

二十三日に帰宅致候 東

 

京では三ツ程芝居を

 

見たので外にいろいろで

 

妙にへとへとに労れ申候。

 

帰宅後早速御伺い

 

可仕の處どうしても巽

 

画会の出品をやらなけ

 

ればならぬことに相成又

 

々延び候段不悪御許

 

被下度来月は必ず御

 

邪魔可致天風君川

 

上君も其頃は是非

 

参られる約束に有之候

 

拝啓 先日御出での節は誠に失礼仕候。 

去る二十三日に帰宅致候

東京では三ツ程芝居を見たので外にいろいろで妙にへとへとに労れ申候。

帰宅後早速御伺い可仕の處 どうしても巽画会の出品をやらなければならぬことに相成

又々延び候段不悪御許被下度 

来月は必ず御邪魔可致

天風君川上君も其頃は是非参られる約束に有之候

 

先日お越し頂いた際は大変失礼いたしました。

去る23日に帰宅いたしました。

東京では三ツ程芝居を観たり他にもいろいろで妙に疲れてしまいました。

帰宅後すぐにお伺いすべきところ、どうしても巽画会の出品をやらなければならずのびのびになってしまいお許しください。

来月は必ずお邪魔致したいと思っています。

(石井)天風君川上(五郎)君もそのころには一緒に伺える約束になっています。

 

そんな内容です。

 

明治45年3月14日から16日に上野で第17回紅児会が開催されていたので、相原寛太郎が小田原の今村紫紅宅を訪ねた際に会えなかったのかと推測します。

明治45年3月17日に、川上五郎・長野草風・小林古径・廣瀬長江・市川左団次・今村紫紅・安田靫彦・鏑木清方の連名で相原寛太郎宛てに「明治座にいる」というハガキが届いていますので、明治座(及び市村座も見学した様子)でいくつか芝居を観たようです。

23日に自宅に戻った今村紫紅画伯ですが、今度は巽画会の出品でまた忙しくなられたようです。

(巽画会には「唐獅子図屏風」を出品、二等賞銀碑を受賞)

来月川上君・石井天風君とともにお邪魔しますとあり、明治45年4月中旬から4月22日まで滞在したようです。

 

明治45年は1912年。

 

112年前の紅児会の新鋭画家たちの行動が垣間見れる手紙の内容です。

 

続きはまた明日。

 

 

 

 

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