今日は昔の手紙のご紹介です。

 

今年2回目のご紹介になりますが、「日本画家 今村紫紅画伯」からの手紙です。

 

今村紫紅画伯は1880年(明治13年)横浜出身の日本画家。

 

明治33年、安田靫彦画伯と出会い行動を共にされます。

 

明治40年岡倉天心の指導も受け、明治44年には原三渓氏の援助も受けられるようになり活発に活動していきます。

 

大正5年2月28日に35歳という若さで夭折してしまいますが、若い画家の方たちにも大きな影響を与えました。

 

今年1月には明治45年1月6日に今村紫紅画伯から頂いたはがきのご紹介をしましたが、今日は同じ年の明治45年3月29日に頂いた手紙のご紹介です。

 

伊豆国修善寺 新井寛太郎様

 

新井旅館三代目館主の本名は「相原寛太郎」ですが、当時の旅館名は「新井屋」

 

そんなこともあり、「新井寛太郎」名で多く手紙などが残されています。

 

三月二十八日 小田原十字町四

 

今村紫紅

 

届いたのは3月29日ですが、出されたのは3月28日です。

 

手紙の内容はこちら

 

 

 

読み下しはまた後日。

 

 

 

 

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