先日の「廣瀬長江画伯からのはがき」の読み下しです。
御はがき拝見仕候。御帰館前も一度拝眉を得たく存候處 其の
機を得ずかへすがえすも遺憾に有之候。実は御承知の通り出品に夢
中に成り居り候為御無音に打過し候為此の次第に相成罪を悔ひ申候。
然るに十七日まで草稿まとまり不申 到底開会に間に合わずと思ひ中
止いたし候。両兎を追はずして一兎も得ぬ無念さ御察しヒ下度く
会は昨日より開かれ申候 出品不揃まことに心細き次第に有之候 御
帰郷を存せず十八日の夜せめてにぎやかしに草紙洗若衆等でも拝借
せんかと電話相かけ申候處御帰郷との事初めて承り残念に候ひき
例によりて十八日の夜は終夜飾り付けにて倶楽部へとまり昨日も一日会場に居
り候 安田兄夕方絵を持ちて着到 夜は仝君の御宅へ石井小林今村
古賀の諸氏と共に参り打ち語り申候 今日もこれより又クラブへ出張
いづれ又後便にて申上かく候 アラスカは紅児会へ一寸顔も見せず諸氏奮慨
いたし候
三代目相原寛太郎からの絵葉書に対する返信の様です。
この時期、新井旅館三代目相原寛太郎は、東京日本橋にあった「松葉屋旅館」によく滞在していたようです。
「修善寺に帰る前に一度お会いしたかったが、その機を得られず申し訳ありません。」
「実はご承知の通り、出品の作成に夢中で音信不通になっていましたことをお詫びします。」
「結局17日までに間に合わず、今回は出品を辞めました」
「紅児会は昨日より開かれていますが、出品があまり揃っていません。」
明治44年3月19日から21日まで、上野にて第14回紅児会が開催されました。
「修善寺に戻られたのを知らず、18日の夜にぎやかしに”草紙洗若衆=能の項目”をお借りしようと電話をしたところ、お帰りになったことを聞いて残念に思っています」
「例により、18日の夜は終始飾り付けのため常磐倶楽部へ泊り、昨日も一日会場にいました。」
「安田(靫彦)兄が夕方絵を持って到着。夜は安田君の家へ石井(林響)・小林(古径)・今村(紫紅)・古賀(玄州)君たち(紅児会メンバー)と共に行って語り合いました。」
「今日もこらからまた倶楽部へ行きますが、また後便にて申し上げます」
「アラスカ(=前田青邨画伯)君は紅児会へ顔を出さず、みんな憤慨しています」
そんな内容です。
第14回紅児会の際のメンバーの様子などがわかるハガキでした。
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