昨年12月30日にご紹介しました大正14年12月30日に頂いた「日本画家 横山大観画伯」からのハガキの読み下しです。

 

 

拝啓 年末御多用の事と奉

 

存候 一月四日より御邪魔仕度

 

室二間御都合相願はれ候はば

 

幸甚に存じ候 桂二、三、なれば

 

猶更妙に候 或はあやめの一、二

 

なども宜敷候 宜敷願候

 

同行四人に候

 

十二月三十日

 

拝啓 年末御多用の事と奉存候 

一月四日より御邪魔仕度

室二間御都合相願はれ候はば幸甚に存じ候 

桂二、三、なれば猶更妙に候 

或はあやめの一、二なども宜敷候 

宜敷願候

同行四人に候

十二月三十日

 

拝啓 年末お忙しいことと存じます。

1月4日より御邪魔させたいただければと思っています。

2部屋ご用意いただければとてもありがたいです。

桂2・3の部屋であればなおさらありがたい。

あるいはあやめの1・2でも結構です。

宜しくお願いします。

同行者4人です。

12月30日

 

そんな手紙でした。

 

「大正15年1月4日に新井旅館に泊りに行きたい。」という内容です。

4人で伺いたいので、2部屋用意してほしい。

桂の2号室と3号室だとありがたいが、あやめの1・2号室でもいいです。

と部屋を指定してきています。

 

ほかの手紙やはがきを見ると、新井旅館三代目 相原寛太郎は、大観画伯などが来られると、一番新しい建物(部屋)などを準備していた感じが見受けられます。

 

明治24年の新井旅館の冊子では、新井旅館には当時「東の間・あやめの間・桂の間・池の間二棟、そして青州楼」がありました。

 

明治32年に「雪の棟」、明治41年に「霞の棟」が新しく建てられ、明治後半から大正初期にかけては「霞の棟」に大観画伯は何度か泊まられていました。

 

資料が少ないためはっきりしませんが、創業当時からあった「桂の間」と「あやめの間」がもしかしたら大正時代に改修されたのかもしれません。

 

その後「あやめの間」は昭和6年、「桂の間」に至っては昭和39年に新しく建て直されます。

 

横山大観画伯からの一枚のハガキから、新井旅館の歴史も少しづつわかってきます。

 

今年もまた、多くの文人墨客の方々からの手紙をご紹介したいと思います。

 

 

 

 

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