先日ご紹介しました103年前に頂いた、「日本画家 横山大観画伯」からの葉書。

 

 

読み下しです。

 

啓上 此度亦観心寺高野山

 

〇前田小林両君は十三日頃先発

 

奈良の寺巡り致す事ニ相成

 

十五日七半にての連中は七八名ニ御坐候

 

申候 十八日京都出発の筈ニ

 

御坐候 同人連ハ出立まち〱

 

に候へ共 いづれも十六日朝迄ニ

 

京都に着候筈 前例ニ依り

 

是非御出掛け待ヒ申候

 

小生ハ十五日七時東京発にて出立致候

 

 

啓上 此度亦観心寺高野山(〇前田小林両君は十三日頃先発)奈良の寺巡り致す事ニ相成申候

(十五日七半にての連中は七八名ニ御坐候)

十八日京都出発の筈ニ御坐候 

同人連ハ出立まちまちに候へ共 いづれも十六日朝迄ニ京都に着候筈 

前例ニ依り是非御出掛け待ヒ申候

小生は十五日七時東京発にて出立致候

 

この度また観心寺高野山、奈良の寺巡りをすることになりました。

18日に京都を出発するはずです。

(前田青邨君と小林古径君の二人は13日頃先に行かれます。)

(15日7時半の連中は7~8名です)

美術院同人たちは出発がまちまちですが、いずれも16日の朝までに京都に到着予定です。

前例により是非お出かけくださいますよう、お待ちしています。

私は15日7時に東京発にて向かう予定です。

 

そんな葉書です。

 

大正9年5月、やはり日本美術院同人の面々で瀬戸内旅行に出かけており、その時も三代目相原寛太郎は一緒でした。

 

大正3年9月に日本美術院を再興しますが、その時の賛助員として名を連ねたのが三代目相原寛太郎。

 

明治40年ころから、日本美術院同人となった前田青邨・小林古径・速水御舟・今村紫紅・速水御舟・川端龍子・安田靫彦各画伯たちは新井旅館を根城としていました。

 

そんな若い画家たちを通して横山大観画伯と相原寛太郎は親しくなっていきました。

 

瀬戸内旅行に続き、高野山~奈良の旅もご一緒だったようです。

 

 

 

 

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