先日の石井林響画伯からの葉書

 

 

一行づつ読み下していきます。

 

其後は如何に御座候や いよゝ

 

画会も近き候まゝ五浦へ急ぎ候

 

御都合よろしくらば御東上待

 

上げ申候 先は取急ぎ要用まで

 

委細は拝眉にゆつくり可申候

 

十月一日 南品川五五七 石井天風

 

其後は如何に御座候や 

いよゝ画会も近き候まゝ五浦へ急ぎ候

御都合よろしくらば御東上待上げ申候 

先は取急ぎ要用まで

委細は拝眉にゆつくり可申候

十月一日 南品川五五七 石井天風

 

その後はいかがお過ごしですか?

いよいよ画会も近くなってきましたので五浦へ急いで行ってきました。

ご都合がよろしければご来訪お待ちいたしております。

まずは取り急ぎ用件だけ。

詳しい話はお会い致した際にごゆっくりお話しいたします。

 

そんな内容でした。

 

画会が近づいた。と書かれています。

明治44年10月15日から第5回文展が開催されているので、その件かと思いましたが、五浦へ急いで行かれています。

茨城県の五浦は、岡倉天心によって日本美術院第一部が移転した場所。

当時、東京美術学校の教授を辞めた横山大観・下村観山・木村武山・菱田春草各画伯たちが移り住んでいました。

ただ残念ながらこの年9月16日に菱田春草画伯が37歳で早逝。

石井画伯は、五浦にいる横山大観画伯らに会いに行かれたようです。

  

実は明治44年11月3日に上野公園常磐花壇にて石井林響画伯は「天風会」を発会します。

幹事には梅野茂吉氏や相原寛太郎など10名ほどのの名前があり、賛助員には修禅寺関連の丘球学老師・岸澤惟安老師・丘宗潭老師や明治座支配人川上五郎氏、沼津の医師須田茂馬氏など50名以上の名前が連なり、発会時には横山大観・下村観山・木村武山・梶田半古・寺崎広業・今村紫紅・安田靫彦・前田青邨・小林古径・長野草風各画伯他やはり50名ほどの日本画家の方の席上揮毫をいただきます。

その準備をされていたのかと思います。

 

 

当時の石井林響画伯の勢いがすごかったことが垣間見られる、そんな手紙でした。

 

 

 

 

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