先日の大正3年8月18日に頂いた「今村紫紅画伯からの手紙」
もう一枚も読み下します。
只今電報落手申訳無之候
美術院のことにて連日奔走
致居受取の御返電宅のものへ
命じ置候處失念致何とも
申訳なく御詫び仕候 御送りの
分にて充分に有之何れ安田君より
申上候
只今電報落手申訳無之候 美術院のことにて連日奔走致居
受取の御返電宅のものへ命じ置候處失念致何とも申訳なく御詫び仕候
御送りの分にて充分に有之何れ安田君より申上候
只今電報受け取りましたが申し訳ありません。
美術院再興のことで連日奔走しており、頂いた電報を家のものに頼んでおりましたところ、
忘れてしまっていて大変申し訳ございませんでした。
お送りいただいた分で十分でございます。
いずれ安田(靫彦画伯)君より連絡をさせます。
前の手紙を書き終えたときに電報が届いたのかと思います。
日本美術院の再興にあたり、安田靫彦画伯や横山大観画伯から賛助員の依頼があり、取りまとめていたのが今村紫紅画伯だったのでしょう。
新井旅館三代目相原寛太郎は賛助員の寄付や、9月に行われた美術院開院式のための日本画なども送り、いろいろと協力していたことかと思います。
今村紫紅画伯とも親しく交流していましたが、今村紫紅画伯の親友だった安田靫彦画伯は、相原寛太郎の弟のような存在でした。
大正3年 今村紫紅画伯もいろいろあった年、そして実は安田靫彦画伯もいろいろあった年でした。
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