昨日ご紹介しました、千葉県大網白里市の日本画家「石井林響画伯からの手紙」の読み下しです。
便宜上2回に分けて読み下します。
まずは前半。
そろゝ
ご多忙之
御事と
奉察候
御上京之節は
必
ず(須に")
御立寄り下され
度候
御照會之
春草ハ
尺八絹本のつまりしものか
丈三尺
全体鼡色の仕上げ
御所
蔵の(鳩)物よりは
汚れ候も
味ある作と見え候
帰
朝当時之作に御座候
そろゝご多忙之御事と奉察候
御上京之節は必ず(須に")御立寄り下され度候
御照會之春草ハ、尺八絹本のつまりしものか丈三尺
全体鼡色の仕上げ御所蔵の(鳩)物よりは汚れ候も
味ある作と見え候
帰朝当時之作に御座候
だんだんと忙しくなってくる事かとお察しいたします。
御上京の際には必ずお立ち寄りください。
ご照会を受けた春草(菱田春草)は尺八寸の絹本のつまったものでしょうか?丈は三尺です。
全体に蝋色(黒の漆のような深く美しい黒)の仕上げです。
そちらで所蔵されているものよりは汚れてはおりますが、なかなか味のある作品に思えます。
帰国した当時の作品ではないかと思います。
そんな内容です。
明治45年7月、前年に36歳の若さで亡くなった菱田春草画伯の絵が展覧されていたのかもしれません。
どんな絵なのかを石井林響画伯に見てきて欲しいと依頼されていたようです。
尺八寸の絹本で丈は三尺で蝋色の仕上げで、参考の絵を描いて説明しています。
新井旅館三代目相原寛太郎は明治42年ころ、安田靫彦画伯を通して菱田春草画伯に日本画の依頼をしていました。
同年3月に菱田春草画伯より日本画が届き、その後菱田春草画伯から安田靫彦画伯に「過分な潤筆料をいただいた」と手紙が届いています。
その日本画が「御所蔵の物」かと思います。
あと何枚か描いて欲しいという依頼もしていましたが、残念ながら腎臓疾患にて明治44年9月に逝去。
相原寛太郎は、菱田春草画伯の日本画をもっと購入したかったのかもしれません。
そんな文章が前半です。
後半の読み下しはまた後日。
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