石井林響画伯、本名石井毅三郎
明治17年千葉市に生まれ、16歳の時に画家を目指し上京し橋本雅邦に師事。
明治40年新井旅館三代目相原寛太郎に気に入られ、明治40年12月から明治42年春まで新井旅館に滞在します。
その間に新井旅館の常連のお客様で宮内庁御用達の帽子店経営茂野氏の娘きんさんと結婚。
相原寛太郎が仲人を務めました。
その後きんさんの実家の南品川に移り新居と画室を造り、数多くの作品を描き、大正8年には石井天風から石井林響と名を改めます。
大正15年、実家のそば、現在の千葉県大網白里市に移り「白閑亭」という画房を新築します。
昭和4年3月に脳溢血で倒れ、一時回復するも翌年2月にふたたび脳溢血で倒れ45歳で逝去。
新井旅館には石井林響画伯からの手紙や日本画が多く残されています。
今日は、今から111年前の明治45年に頂いた「石井林響画伯からの手紙」をご紹介します。
伊豆国修善寺 相原天城様 侍史
相原天城は新井旅館三代目相原寛太郎の雅号の一つ。
7月25日 南品川557 石井天風
明治45年は天風の雅号です。
ちなみに5日後の明治45年7月30日、明治天皇が崩御されます。
手紙の内容はこちら
読み下しはまた明日以降。
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