「子供を連れての旅は譯も無く騒々しかった。殊に新井屋の主婦も同行であるので一層賑やかであった。」
明治42年8月 高浜虚子さんの「修善寺紀行」の書き出しです。
「三島の町を過ぎて大場、原木とだんだん驛を経過するに連れて降りる人は多く乗る人は少なかった~」
「其中ちらちらと木の間に灯火が見え始めて闇黒の山中に不思議に明るい現実世界が見え始めた。其が修善寺であった」
「新井屋へ着くと明るい電燈の点いている玄関に四五人の番頭と二三十人の女中が一斉に叩頭して出迎へた。~」
明治42年8月の玄関は、「明治14年築 登録有形文化財 青州楼」
現在は。
高浜虚子さんの奥様のいとさんと、新井旅館三代目女将相原つるとが学生時代の同級生で親友同士だったこともあり、虚子さんは新井旅館へ何度となくお越しになりました。
虚子さんの日記や手紙などから「雪の棟」や「霞の棟」「龍田の棟」など、いろいろな部屋に泊まられたことがわかっています。
昭和28年9月10日には「大正13年築 登録有形文化財 甘泉楼」にて行われた伊豆大句会にも参加していただきました。
翌年昭和29年には文化勲章を受章された虚子さんでしたが、昭和34年4月1日に脳出血で倒れ、その一週間後にお亡くなりになりました。
85歳でした。
今日4月8日は、
俳人高浜虚子さんの命日です。
金の輪の 春の眠りに はひりけり 虚子
昨年の虚子忌の記事はこちら→2019年4月8日の日記
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