3月19日に載せました「昔の手紙」の読み下しです。

  

まずは差出人ですが、「紫山 拝」と書かれています。

 

紫山とは、歌舞伎役者 初代中村吉右衛門丈

 

 

新井旅館三代目女将 相原つるのことを「新井屋の姉さん」と慕っていました。

 

このハガキは「新井様」ですが、この後は、「新井兄さん・姉さん」で届くことが多くなっています。

 

そして110年前の内容は、

 

 

先ハ御機元よく 此たびわいろいろ御志んぱい

下されおかげさまで見物も大夫よろしく

なり舛た。 また此ごろ中ふはう気の

為病人が出来十六日より三日間休ミ私しも

いつものあたまニて一両日休ミ来月ヨり

またまた開演いたし二十五日迄ニて

千秋楽 歌舞伎ハ一日ニ開くト申候が二三日

成り共間が有レバ伺ヒ度存舛 今日廣瀬

君が御見物ニ御いでになり舛 先日おかへりの節

御目ニ不掛ら残念ニ候 前田君へ宜敷願舛

また御多忙でせうが御出掛ケ被下度 御姉様宜敷

 

 

明治43年、初代吉右衛門さん23歳のころのハガキ。

 

明治41年から42年に掛けて、体調を崩されていた吉右衛門さんは「新井旅館 霞の棟」にてたびたび療養をされていました。

 

このころもまだまだ体調は本調子ではなかったのかと多います。

 

「いろいろ御心配していただきありがとうございます。」と書かれています。

 

中はふうは中風のことでしょうか?病人が出てしまったため3日間休み、自分も頭痛で休み来月また開演。

 

25日まで行い千秋楽は1日に開く予定。

 

2~3日でも暇ができれば伺いたいと思っています。

 

今日は広瀬長江画伯が見に来てくれます。

 

先日帰られる時にお会いできす残念でした。

 

前田青邨君にもよろしくお伝えください。

 

お忙しいことでしょうがまたお出かけください。

 

お姉さまにもよろしくお伝えください。

 

そんな文章です。

 

明治43年3月15日には歌舞伎を演じていた初代中村吉右衛門丈。

 

この日、日本画家広瀬長江画伯が見に来てくれることになっていたようです。

 

そして同日、同じく日本画家前田青邨画伯は新井旅館に宿泊中。

 

そんなことがわかるハガキでした。

 

 

中村吉右衛門丈を書いた日記→2009年9月5日の日記

 

 

そして今日はちょうど初代中村吉右衛門丈生誕134年にあたる日でした。

 

 

 

 

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