12月3日の日記

 

「安田靫彦画伯」からの手紙

 

読み下しの続きです。

 

 

以高庇甚好き報を得 欣喜の至に御坐候 又々御来駕を願上候事 何共申兼候次第には候へ共

何卒切願仕候 定めて御絶望の事とは存候へ共 此度限りと覚召 今回充分の御訓誡を玉はり度

切に奉願上候 幸にして此激動により御懇情を心に刻み新生涯を拓き候得ば 欣喜何者も不退之候

 

 

御多忙中実に申上兼候次第に御坐候 取急ぎ不文意を尽さず何卒御諒怒ヒ下度候

米津氏へも申上べく候 来着の日確報次第申上べく候 

先は不取敢右要々迄      

                      匆々

 

十二月四日  安田靫彦

 

相原天城盟台  侍史

 

 

安田靫彦画伯の実兄安田直次郎氏の情緒が乱れており、

 

直次郎氏がいる岡山に、友吉氏やその後角谷氏が面会に行き状況を伝えてきているようです。

 

角谷氏は岡山の吉備館という宿にいる直次郎氏と半日にわたり対談し、

 

その際相原寛太郎からの書面を渡すと「感情を動かされた」と書かれています。

 

「じっくり考えたのち相原寛太郎と米津氏と会見したい」と言っている。

 

とつながっています。

  

  

ここで芝居の話が出てきますが、

 

安田直次郎は初代中村吉右衛門一座に入り歌舞伎役者中村七三郎として活躍もします。

 

相原寛太郎と安田靫彦・初代中村吉右衛門とは義兄弟の契りを結ぶ仲でした。

 

この時期直次郎氏は、実業家から歌舞伎役者へと変わる時期だったのかもしれません。

 

 

角谷氏は一度神戸に戻り、直次郎氏が帰京の際は一緒に連れてくることになっています。

 

あなた様のご厚意でとても良い報告を受けることができました。

 

また何度もお願いすることは非常に申し訳ありませんが、

 

事によってはまたお話をして頂きたいと思います。

  

さぞご絶望されたことかと思いますが、今回限りと思しめく十分なご訓戒を賜りたく思います。

 

上手にお伝え出来ずに申し訳ありませんがどうぞお許しください。

 

米津氏にもお伝えしたいので、来られる日が決まりましたらご連絡ください。

 

と、こんな内容のようです。

 

 

大正3年12月の安田靫彦画伯を取り巻く状況が、手紙の中に詰まっています。

 

 

 

 

 

新井旅館のホームページもどうぞご覧下さい。
We look forward to your visit to our website.

            ダウン

歴史・文化に囲まれた宿 新井旅館  www.arairyokan.net