明治20年、上野に東京美術学校(現在の東京芸大)ができた事をきっかけに、
現在の東京都北区田端に多くの文士や芸術家が集まった
田端文士村という地域がありました。
火付け役となったのが画家小杉未醒や陶芸家の板谷波山。
そしてのちに芥川龍之介や室生犀星なども移り住んだ場所です。
板谷波山の親友・香取秀真がこの地に移り住んだのは明治42年。
そして秀真は大正6年、田端438番地に移転します。
その際の隣人が芥川龍之介でした。
芥川龍之介は香取秀真のことをこのように紹介しています。
「香取先生は通称「お隣の先生」なり。先生の鋳金家にして、
根岸派の歌よみたることは必要もあらざるべし。
僕は先生と隣り住みたる為、形の美しさを学びたり」
芥川龍之介は、大正14年の4月から5月にかけて新井旅館に投宿。
そしてお隣の先生「香取秀真」は
昭和9年築 新井旅館 天平大浴堂
に、大きな燈灯を作成し残して頂きました。
(文章中、敬称は略させていただきました)
お隣の先生「香取秀真先生」作成の燈灯
今日、1月31日は香取秀真氏の命日です。
前回の記事もどうぞ→2014年1月31日の日記
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