大正13年の修善寺案内誌
新撰 修善寺繁昌記
大正13年7月5日納本で、定價七十五銭と書いてあり、
修善寺村のいろいろな案内が載っています。
その中の新井旅館の広告です。
新井の菖蒲の湯 竹廼舎主人
新井の主人は各般の趣味饒(ゆたか)くして就中(なかんずく)後素(様々な色を塗った後、最後に白を使って全体を鮮明にする絵画の画法のたとえ)の造詣深く、されば其庭園建築一として畫趣(絵の題材になるような風景)ならざるなく、明の張瑞圖(ちょうずいと:明の文人)の畫風を冩せる奔湍(ほんたん:早瀬・急流のこと)飛瀑(滝)、藍田叔(らんでんしゅく:明の山水画家)及石濤山人(せきとうさんじん:清初の遺民画人)を摸せる湲流幽溪より、郭忠恕(かくちゅうじょ:中国宋王朝の画家)王摩詰(王維:唐の時代を象徴する詩人)の風韻を採りたる小景迄、雅趣(風雅な趣)津々として一度歩を庭前に移せば身は宛然(そっくりそのままの意)晝中に在るの想あらしむ、其他玄関は宇治の鳳凰堂に擬し、廻廊は厳島に則り、雪の湯の浴槽は琵琶湖の趣を採り純藤原時代の三階より室町時代の石燈籠に至るまで總て藝術の妙を擅(欲しいままにする)にして居る。
又特に演藝場の設ありて舞曲浄瑠璃落語などの催あり、以って浴室慰籍(いしゃ:遊び事)の具に供して居る、殊に邸内には菖蒲の湯と呼ぶ由緒最も古き出湯がある、是れは昔源三位の室菖蒲前が晩年都の戦塵(戦争の騒ぎ)を避けて伊豆河内村(方今の西浦村河内區)禪長寺に遁世(とんせい:隠居して世間のわずらわさから離れる)閑居せる折裏の山越(凡そ一里)にてたびたび來浴せしといふ事蹟があり、現に新井家にて其時の邸主で當地の土豪で有った、福井家より繼續したる菖蒲前手擇(しゅたく)といふ古硯を蔵してゐるより、古くから菖蒲の湯と呼び來ったのである。
玄関は宇治の平等院鳳凰堂に擬し、
廻廊は厳島に則り(のっとり)
雪の湯の浴槽は琵琶湖の趣を採り
純藤原時代の三階より室町時代の石燈籠に至るまで總て藝術の妙を擅(欲しいままにする)にして居る。
そして、今日の新井旅館の趣も、
大正13年とほとんど変わっていません。
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