新井旅館と川端龍子画伯との関係
日本画家川端龍子画伯は明治18年生まれ
当初は洋画を描いていた龍子画伯でしたが、大正2年に親友との渡米予定の費用を調達するため、
明治45年新井旅館に一週間滞在し、当時お金になった日本画を描いたのをきっかけに
日本画家に転向したようです。(龍子「わが画生活」参照)
龍子画伯は修善寺をこよなく愛し、何度も新井旅館に宿泊、ついには温泉街の先に別荘を建てられました。
(別荘は今も修善寺温泉に現存しております)
別荘に来られたときの食事は新井旅館から運ばれておりました。
新井旅館の客室の内、花の棟・吉野の棟そして天平風呂は安田靫彦画伯の考証・設計ですが、
昭和35年月の棟の改装工事の考証は川端龍子画伯によって行われました。
昭和35年、新井旅館月の棟の玄関まわりの改修工事風景(中央が川端龍子画伯)
現在旅館のロビーには龍子画伯揮毫の「名月荘 あらゐ」の扁額が飾られています。
修善寺を愛した龍子画伯は、修禅寺にお墓も作りました。
温泉街を見おろす修禅寺裏山の墓地の中腹に川端家のお墓があります。
川端龍子画伯と弟で俳人川端茅舎(ぼうしゃ)さんのお墓の案内碑(左)と川端家墓域
同じ川端家墓域には弟茅舎の句碑が建っています。
(昭和32年茅舎一七回忌に龍子画伯建立)
ひろびろと露曼陀羅の芭蕉かな 茅舎
修善寺を愛した川端龍子画伯。
東京大田区にあります龍子記念館にて、5月17日(土)~6月15日(日)龍子記念館開館45周年記念特別展「川端龍子と修善寺」が開催されます。
http://www.ota-bunka.or.jp/ryushi/information.html
是非ご覧下さい。
歴史・文化に囲まれた宿 新井旅館 www.arairyokan.net
明治・大正・昭和初期の癒しを求めて・・・