大阪を散歩 | 新井学院(橋本)~時に先生と生徒の邂逅も人生の転換点になりうる~

新井学院(橋本)~時に先生と生徒の邂逅も人生の転換点になりうる~

新井学院埼玉県さいたま市/北浦和)の橋本(英語&日本史講師)によるブログです。
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6/23(日)はぶらぶら散歩がてらに,大阪城近くに点在する歴史関連の建物を訪れてみました。

ただ大阪って埼玉と気温が同じぐらいでも海に近くてビルで風通しが悪いせいか蒸し暑いですねえ~。


<行程>
・旧緒方洪庵住宅&適塾
・北御堂ミュージアム
・大阪歴史博物館
・NHK大阪ホール

 

↑緒方洪庵は幕末期に主に大坂で活動した医師でしたが,オランダ語を教える適塾を屋敷に併設しており,福沢諭吉や大村益次郎,佐野常民,長与専斎などの大物が塾頭を務めたことでも知られています。
適塾の教室は1階の玄関近くの部屋が充てられていましたが,寄宿寮は2階の大部屋です。
1人1畳ずつ,成績順に好きな畳を選ぶことができたため,入塾したての初学者は庭から遠い日陰の隅っこになったでしょう。
隣接して貴重な辞書が保管されている部屋があり,部屋から持ち出されることが禁止されていたため,真夜中でも辞書を書き写す塾生の蝋燭の灯が消えることはなかったようです。

 

↑京都の西本願寺を本山に仰ぐ本願寺津村別院は北御堂と呼ばれています。
(これに対して京都の東本願寺を本山に仰ぐ浄土真宗(一向宗)の寺院は大谷派となります。)
北御堂にはミュージアムが併設されているので,開祖親鸞以降簡単に真宗の流れがわかります。
写真の阿弥陀様は室町時代の法主だった蓮如が信者(門徒)に与えていたものです。
真宗寺院は西本願寺・東本願寺以下無料で拝観できるので助かります。

 

↑大阪城のすぐ南にある大阪歴史博物館は,7世紀孝徳朝の前期難波宮(難波長柄豊碕宮)と8世紀聖武朝の後期難波宮の跡地に建てられています。
そのため建物の下部に一部7世紀時代の竪穴などが残されています。
前期難波宮は掘立柱建物でしたが,後期難波宮は礎石建ちでした。
日本の都では藤原京以降が礎石だと受験日本史で学びます。
後期難波宮に劣らず前期難波宮が広壮だったことが窺われ,朱雀門もあったとは驚くばかりです。
すぐ近くに5世紀(中期古墳時代)の大倉庫群の竪穴跡も見つかっています。
5世紀と言えば讃珍斉興武の時代ですが,日本No.1とNo.2の大山古墳と誉田御廟山古墳が大阪にあったことと考え合わせると興味深いところです。
大阪城の周辺はおおむね,
難波宮→石山本願寺→大坂城→大阪砲兵工廠→大阪城公園
というふうに変遷したわけです。
明治維新から商業の中心も東京に移っていくなか大阪の地位の低下を食い止めたのが,涼しい両眼でもって日本史選択のJKを魅了し続ける薩摩出身五代友厚です。