古来より生物にとって炎は畏怖と崇拝の対象であった

数多の生物のなかで唯一、炎を手なづけ「道具」にまで落とし込めた人類はまさにそのとき叡智をその手にしたのだろう

時は下り19世紀
か細く震える竹のフィラメントが人類にとって恒久の光をもたらした
電球の発明である
新しい叡智、そして文明

明かりの灯るそのしたに人は集い、文化を紡ぎ、生活を育む

明かりの灯るそのしたに人は生きるのだ

明かりとは人類の叡智そのものだ

明かりをともそう
暗闇を照らそう

時に暗室にもたとえられる暗く、温い赤い部屋
血と肉でできた部屋

暗闇に明かりが灯る
わたしの暗室に小さな炎が灯った

微かな心音を打ち、激烈に細胞分裂し、微生物から脊椎動物までの進化をたった10ヶ月で再構成する奇妙な奇跡

あかりをともさん
略してあかさん。
あかさん。わたしかあさんになる。









新垣由衣は遠目には揺るぎなく松田聖子に見える。
戦略的にプラスなんだかマイナスなんだか。

物思いの秋で、思考を巡らすのによい季節。にわかに、部屋の隅に放り投げた哲学書など手にとってみたりして。
可哀想なぐらい理系のセンスに恵まれないあたし。憧れているの、理系。

「どうしてこうなるの」、を学ぶのが理系だとしたら、
「どうしてこうなの」、を解きほぐそうとするのが文系。

過程を探り、解を求める知能の動きがダイナミックというか、異論なき答えに真っ直ぐ向かう様が強くてかっこいいの。
文系には静的というか、「言ったもん勝ち」みたいな不透明感もなくはない。今、既に目の前に存在するものに捕らわれている、そこからの逃避、解放を原動力にした知の流れだから。
文句ねえだろ、っていえる理系な学問はかっこいいな、と思うんですよ。
だからなんだ、ってはなしですが。

最近、アンナ・ネトレプコに夢中。こないだの(といっても何年も前だけど)ザルツブルク音楽祭の「椿姫」が最高なんですよ。
主人公のヴィオレッタはパリ一番の高級娼婦で、残りの命を燃やし尽くすように青年アルフレードと恋に落ちる。当時の「高級娼婦」は社会的地位も高く、彼女らの館は文化・知識人の集まるサロンとなり格調高い大人のための娯楽場だった、という通説に乗っ取って、ヴィオレッタはともかく「エレガント」に描かれがちなんだけど、この「椿姫」は違うんだよね。ちゃんと「いかがわしい」の。
朝が来るまで騒ぎましょうよ、
愛なんて、この杯をあげる間だけ囁かれていればいい。
難しい顔はしないで、朝日が昇るまで皆さんは素晴らしい仲間よ。乾杯、飲みましょう、愛が生まれるわ。
ヒタヒタと迫る死の影も、孤独も、全部ぶっちぎって狂乱。
快楽の中にしか生きられない気高くて哀れな女の様がきっちり表現されていて、ボンボン丸出しのアルフレードに「ヌルいこと言ってんじゃないわよ!こちとら崖っぷちじゃい、お説教ならたくさん。さあ乾杯!」と気迫で迫る第一幕「乾杯の歌」がシビレる。

と書き飛ばして帰宅。
ただいま。

惚れたハレたがすべてでなし~


それだけで人生渡れやしねぇ~♪と歌いながら桃を湯剥きする夢をみた




わたしの頭上には水鉢が載っている


丸みを帯びた透明な水槽


満々と水を湛えている


頭上に捧げ持つ様は


アフリカ女のように陽気でけなげだ



わたしを行き過ぎるすべての事象


鉢の水に浸されて


とろみつき 艶めいて わたしの発する「言葉」になる



赤子の原罪を濯がんと沐浴させる

異教徒の儀式のように 真摯で強迫的だ

不意に投げ込まれた衝撃には千千に乱れ


邪念を映し暗く淀む




揺らめき、濁る水肌よ


鎮まるまで耐える、耐える



水底を共に覗くひと


重そうな鉢だ、一緒に運ぶというひと


揺れるまかせ愉しめよというひと



ひとりのひとが担えたら良いけれど


そうでもないから人生は愉快