シュメール文明と現在の私達のこの社会の成り立ちについて少し考えて見たいと思います。


日本では学校の社会科で、世界の文明の始まりは世界四大文明であると教わりますがもちろんそれは嘘です。


しかもこの考え方は日本だけのもので、もう少し進んだ理論は文明の全ての始まりはシュメール文明であると言う説が主流になりつつあります。


もちろん四大文明説よりは進んでいますが当然これも嘘なにですが、とりあえず今日はこれがある程度の真実を含んでいると言う仮定でお話を進めて行きたいと思います。


シュメール文明起源説と言うのは有名なゼカリア・シッチンの「宇宙考古学」から来ていると言う事は間違いないと思います。


彼は中東から発掘される粘土板などに残された記録から、人類は太陽系12番惑星から地球にゴールドを発掘に来たアヌンナキが、遺伝子操作で造りだした産物である。


人間は彼らの奴隷と食料として必要であるからそのための道具として造ったと言う説です。


一部の熱狂的デクラス系の中では広く知れ渡った説で、たくさんの考察、動画、ブログ等が見受けられす。


もちろん間違いでは無いのですが重要な部分が抜け落ちていると思っています。


もしそうであるならアヌンナキが地球に来た時に地球には人間はいなかった事になります。


そもそもシュメール文明と言う呼び方は「スメル」あるいは「スメラ」が変化してスメール→シュメールとなった訳ですからスメラミコト家が主体で構築・運営されたと言うことを現しています。


一万二千年前ごろにムー大陸やアトランティス大陸が海に沈んだ後も生き残った少ない人類を指導救済するため、本家日本から世界に指導者を派遣して新しく文明を構築するためスメラミコト家は尽力していた訳です。


ところが派遣された分家の中で本家を疎ましく思った一部勢力(いわゆる16勢力)がアヌンナキの一部の勢力と協定を結び造ったのがシュメール文明だと考えられます。(40さんもそのような発言をされています)


そう考え無いとシュメールと言う名前、竹内文書、古神道の口伝や40説と整合性が取れないのです。


スメラミコト家の真実はまだ表に出せないのでこの部分だけを秘密にして、言説はまことしやに流布されることになると言う訳です。


アヌンナキやレプティリアンと言うのは後から入って来た新参者で主体はあくまでもスメラミコト家とその分派が主体で無ければいけません。


竹内文書の研究者はそちらの研究内容だけで、ゼカリアシッチンの研究者は研究者でそちらの研究だけなので両方をうまく融合させた考え方が無いので現代文明発祥の真の形は見えて来ないと思います。


現在私達の身の回りに起こっている全てのおかしな出来事はこの構図から発生していると言う基本的な形を決して忘れてはいけないのです。


このシュメール文明が元で現在の全ての文明の運営原理が営まれている訳ですから。


その頃はスメラミコト家分家とレプティリアンは手を組んだとは言うもののまだ勢力としては弱いもので本家の日本から見たら取るに足らない勢力だったと思います。


それから約3000年ぐらいしてから彼らの本格的な日本乗っ取り計画が遂行されて行くわけです。


その計画立案に主に関わったのがいわゆるキリスト教グノーシス派であり、それを実質的にコントロールしたのが14島津家です。


シュメールを発展させ四大文明を押しすすめ、中世からは大航海時代を経てキリスト教と軍事を組み合わせて世界をどんどん植民地化して行きます。


キリスト教をバックにスペインとポルトガルなどが力で世界を席巻して、力による世界統一政府を作る一歩手前まで行きますがなかなか本丸である日本が獲れないわけです。


日本では大陸経由で藤原氏、秦氏、さらに中東経由で李家などを送り込み内部から乗っ取りを画策する。


そして一度は南北朝を経由してうまく行きかけたのですが江戸時代に入って18勢力に近い「山禍」の連合グループである、信長・秀吉・家康・明智光秀などの知恵者グループが手強く、せっかくスメラミコト家を乗っ取て天〇家を樹立したのに政治的実権は握れない。


と言う事で明治維新と第一次、第二次世界大戦を画策して行く訳ですがそこでも日本側の民衆がたくさん入った陸軍の一部にせっかくいままで苦労して作り上げた植民地を解放されてしまうわけです。


そのため世界統一政府は一時的に頓挫してしてしまうと言う流れになります。


そこで彼らが思いついたのが力や軍事力では無く別のロジックである、民主主義、主権在民などと言うトンデモ無く凄い発明品です。


長くなりましたので続きは又次回にさせて頂きます、長々とお読み頂きありがとうございます。