前回からの続きをさせていただきます。

他人を自分の思うがままに操って奴隷化させようとした時にどのような手法が考えられるのでしょうか。

人間の行動というものは何かしらの内面的な思想や感情によって表現されるのが一般的です。

もし私たちが殺人を犯せば法によってその裁きを受けます。

しかし人を殺したいと心の中で思ったとしても法律によって それを裁くことはできません。

法律はその人の行為を裁くことは出来ても心を裁くことはできないのです。

当たり前のように思えますが実はここが重要なところです。

法律というものは表面に現れた行為にしかその効力を行使することができないのです。

他人を奴隷化しようとした時厳しい法律によって罰則を強化して従わせることは出来ます、しかし心の中では常に反発しているかもしれない、それが やがて支配者層に何らかの形になって跳ね返ってくるかも知れない。

それでは どうすればいいのかと考えた時、外面的な行動は政治や法律や罰則によってある程度コントロールすることができますが、行動様式よりも 奥にあるその人の内面をコントロールするということがさらに重要になって来ると言うことです。

ですからここに宗教や思想、主義というものが非常に大切になってくるわけです。

当然DS 側はそれを構築するために大変大きなエネルギーを注いで来たわけです。

宗教の原点であるモーゼの「十戒」は人間の外面を規定しています。

いわゆる あれをしてはいけない これは してはいけないと言う縛りです。

人類の歴史がまだ浅かった頃にはまず 外面的な統制から宗教は スタートしたわけです。

イスラム教における「スンナ」やユダヤ教の戒律などもこの外面の規定に当たります。

原始 ユダヤ教等は厳しい 戒律にのみにその価値が置かれていました。

そこに現れたのがイエスです。

イエスは戒律 よりも内面が大切ということを強調し「愛」を基準にしなければいけないということを説いたわけです。

現在のキリスト教においては、カトリック でも プロテスタントでも外面の規定ではなく内面である心のあり方が大切になってきます。

キリスト教には実は実質的な外面規定と言うのは存在していません。

極端に言えば殺人を犯した人も死ぬ直前に神を信ずれば救われると言うことです。(厳密に言うと予定調和理論では違って来るのですが長くなりますので)

DS 側はこれを利用して人間をコントロールしようとしたわけです。

過去の聖友聖者が神の使いとして何らかのメッセージを人間に伝えたわけですが、それを利用して人間を奴隷化するためのロジック に書き換えたというのが現在の宗教と言っていいでしょう。

またそこから出てきたのが○○主義と言うロジックです。

民主主義や資本主義、そしてそれに対峙する共産主義、これらは全て宗教を補完して人間の内面をコントロールするためにDS 側が道具として編み出した手法です。

ではこれからの新しいコミュニティでこれら 内面外面からの呪縛からの離脱には何が必要になって来るのでしょうか。

私はそれ こそが32億年【18 】が地球の運営 原理として寄って来たる「古神道」の考え方であると思ってます。 

実は神道には現在の他の大宗教に存在する、聖書やコーランなどと比較する様な、絶対的経典と言われる教義教理は存在していません。

何となくそれぞれの神社で受け継がれた言い伝えや口伝の様なものの集大成で構築されています、そこが神道の分かり難いところでもありますが。

一神教と言うのは自分が信じる神こそが絶対 唯一の存在であり、故に必ず 他の神を排除するか、従わせると言う構造的な性質を内包しているわけです。

ですから必ずそこに 対立構造が生まれるわけです。

一方 古神道というのは、アニミズムから出発し八百万の神々と言う根本思想で成り立っています。

40さんはこのことについて再三言及していらっしゃいます。

八百万の神々 というのは、自分自身が神であり、他者も神であるということを認め、尊重し合うという思想です。

ですから そこには絶対的対立というのは生まれないわけです。

この考え方からは、誰かが誰かの上に立ち従わせるとか、ヒエラルキーを構築するとか、自由主義と共産主義と言った対立構造は絶対生まれないわけです。

このスタートのちょっとした考え方の違い というものが、その後に生ずる全ての 絶対的価値を構築していくわけです。

ですから新しいコミュニティでは、今までのような支配者、被支配者を想定した、政治や、思想の対立、主義主張の対立、それを基盤としたあらゆる 争い というものが必要なくなるわけです。

資本主義というのは現代のキリスト教の考え方を基礎として構築された思想であり、自然というものは資源として使いそれを克服して利用するものであるという思想です。(添付参照)

一方古神道の考えの基礎になる「アニミズム」思想は、あらゆる物の中に「神の霊性」が宿っていると言う考えですから、自然及びその現象 というものは神そのものであり、その中で生かされ共存共栄していくものであるという考え方を取ります。

天地に起きる一切の出来事は宇宙からのメッセージであり、全ては平等に与えられるもの、そこに 奪うものと奪われるものとは存在しません。

自然は真理の充満であり、全ての恵みであり、ただ無償で与えるために存在しているもの。

これは宗教とは何の関係もなく、自然の摂理であり32億年 地球があり続けた 運営原理と言って良いでしょう。

ここが分かれば、これに従えば、今まで あらゆる外面 内面を規定してきた、宗教、思想、主義、政治、法律、等々からそのピラミッド構造から離脱することができると思っています。

言い忘れましたが、スピリチュアル思想と言うものも、宗教や思想等を胡散臭いと見破った、一定の人たちを誘導するためのDS 側の作った罠であるとミナミ・アシュタールさんがおっしゃっていますが、至極 最も だと思います。

今日はこのくらいにしておきます。

次回は、教育システムと歴史、新しいコミュニティにおけるリーダー?論について考えてみたいと思います。


この文章から地球のあらゆる資源は人間の所有物であり、勝手に克服、使用する財産である、そして資本主義思想へと発展して行ったと考えられます。