マスコミの風潮と闘う | 荒井広幸 草の根 ブログ

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荒井広幸(あらいひろゆき)参議院議員 オフィシャルブログ

万一の事態への備えがいかに重要であったかを東日本大震災はあらためて教え、原発事故災害は新たに人命の重さと、リスクとコストのあり方を問い直させている。まさに文明災である。

こうした中、不思議なことがまかり通っている。

マスコミによる「参院の壁が高すぎる」といった、「ねじれ国会」の原因をもっぱら参議院に弊害があるかのごとき批判である。
衆院と参院を経験している私には大変違和感がある。
私はこうしたマスコミ風潮に、あの戦争協力者としての姿が二重写しに見えてしかたがない。

■まず第一に、あの戦争の教訓から考えるべきである。

戦前、国民から唯一選ばれていた衆議院が軍部の圧力や戦争賛美の風潮に流され、戦争という誤った選択を行い、それを加速させた“大政翼賛政治”の反省がある。
マスコミもそれをあおった。

その強い反省により、戦後直後のいわゆる憲法国会において生まれたのが参議院である。

解散という圧力に屈し誤った時代の風潮に流されないためには、もう一つの国民から選ばれる参議院を第二院として創設し、衆議院の暴走に歯止めをかけ、国民に再考をうながすためというものだ。

これにより二院制を導入することとなった。

■第二に、現代では米国でもドイツでもねじれ政治は存在する。いやむしろ常態化していることを忘れてはならない。

民意の多様化と民意の移り気化によってである。このことは民意の選択によって、時系列上で選挙ごとに政府や各政党への価値が出された結果なのである。

よって、この直近の民意を尊重する(優先せよという意味ではない)のがマスコミの筋(矜持)というものではないだろうか。

ではマスコミは、ねじれという現象の何を問題視しているのだろうか。

第一院である衆議院の意思が正しく、優先されるべきものだという55年型の判断基準を持った古い論説委員や評論家が多いため、それこそ時代錯誤の一方的見解である。

みんなの党や新党改革などの比例代表議員をみても、民主の労働組合代表や自民の業界代表者とは一線をかくした、しがらみのない候補者が立候補し当選してきている。(両2大政党の中にもそうした人物も出ているが、)これは、広い視野からの発案や意見ができるようになったことを意味する。

これは、7年前にマスコミいわく、私が「荒井方式」と言われた方法によって変わった。つまり、地元を持ち、後援者をつくり、組合や業界とは無縁の新人類、新参議院族の誕生が可能となったことにも原因する。

従来の参議院とは明らかに質が変容してきているわけだ。
マスコミは政策取材より政局取材に力を入れすぎ、この質の変化を見落としている。

■第三に、野田新首相の指名投票をみても、マスコミの指摘は誤っているところが多い。与野党の構成がねじれているから一歩も前に進まないのが困るというなら、参院では少数与党の野田氏が首相に指名されるハズはないハズではないか。

しかし、結果は、110票で野田氏が107票で自民党谷垣氏を破り当選してた。
白票を投じた我々24票は、そうなることを理解しての行為なのである。
ねじれでも、衆参の答えが同じになっている好例である。

だからと言って民・自・公で三党協議をしてから国会に法案を提出すれば、何でもうまくいく、良い答えが出せるというのは誤りである。

これは、実質大連立という大政翼賛政治会そのものであり、弊害は大きい。

■ブログという性質上、このあたりで結論づけたい。

政党による衆・参両院の支配という根本問題はあっても、郵政民営化での投票行動のように、ひとり一人の議員が政党のしばりを越え、院の枠を越えた判断を起こす「理論」と落選を覚悟して行動に起こす「情念」が何よりも肝心だ、と私は考えている。

ねじれ国会で、国民のための答えが出せない、一歩でも前進できないのは、一人一人の国会議員の見識(理論と情念)の問題であると考えているからだ。

そして、各々の議員の見識によって、ねじれ国会でチェックが働くことにより、一院の暴走を防ぎつつ、国民の利益になる結論を出せるケースの方が多いと考える。

ねじれることは、むしろ民主党の答え(法案、予算等)が正解ではないところに病根があることを忘れてはならないし、スピード解決は決してよりよい答えにつながるとも限らないことを過去の例から想起すべきなのだ。

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