官から公だ! | 荒井広幸 草の根 ブログ

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荒井広幸(あらいひろゆき)参議院議員 オフィシャルブログ

日本国民が利益を得るなら外資系に頼ってもいいのではないか。
行き過ぎた「市場万能主義」がはびこった現在を加速的につくったのは、「官から民(間)へ」の小泉キャチフレーズの一言であり、充分な比較考量もなく民営化がもてはやされてきたところにある。
民営化に物申すと言って、「公」おおやけの心を復活させ、それを形にすることが求められるのが今の時代ではないか。すでに郵政三事業こそがそれを実践しているので、私は頑固に「郵政民営化」に反対した。そうして抵抗勢力の旗頭にされ、落選や除名や新党づくりを経験した。だが悔いはない。いずれは一理のあったことが証明されると考えているからだ。
民主党政権に取って代わられたのも、この点について自民党を挙げての総括ができずじまいだったことに起因する。国民は自民党でなければよいと、消却法で投票した結果が今の民主党政治なわけだ。後悔先に立たずとはまさにこのことだ。
その民主党が史上最悪の有事事態にあって、日本の運命の舵取りを任されてしまったことは、誠に不幸なことである。せめて野党が国民の立場で支えるしかないと考え、今日に到ったわけだ。

ともあれ、岩手、宮城・福島のこの痛ましい現実の中で、役場職員や警察・消防・自衛隊の方々が、住民を助けようと自らも被災者であることを忘れたかのように黙々と尽くしてくれる姿に、住民のひとりとしても御礼を申し上げる。
それなのに、外資系企業の中には、すぐさま国外へ脱出してしまったところも多い。残念なことだ。
もとより、役場職員や警察・消防・自衛隊は官は官でも霞が関の官僚ではなく、コミュニティに根ざした「公的機関」、おおやけ「公」の存在である。頼れるのは公である。
この点をしても、小泉さんのいきすぎた「官から民へ」は問違いであって「官から公へ」という方向性が社会的にも経済・政治的にも正解だったと私は確信できたのである。

この「公」の字を解体すれば、ムは稲を刈り取り、小脇に抱える様を表し、八は小脇に抱えた人に、「あなたの分だけじゃない、皆の分ですよ」と両肩をたたいて諭す様を表わすと理解している。自助・共助・公助で言えば共助にあたる。互いに助け合い、困難の中にも生きていることを喜びとして分かち合う、それが公「おおやけ」の心、カなのだ。