コーチ陣「いやぁ!温泉とは良いっすねぇ!!!」



今回の取材はそんな騒がしい第一声から始まった。



コーチ陣として今回取材を受けて頂いたのが、小鴎大学のコーチである村田隆太氏と長瀬琉生氏、そして監督である水田航平氏の3名。やや粗っぽくも誠実に話す者、徹頭徹尾弾けた口調を崩さない者、穏やかな表情でのめり込むように話す者と、その特徴は三者三様である。


思いのままに話を委ね、その流れに応じて浮かんだ疑問を投げ掛ける形式をとった都大路走者大学の中本監督とは違い、3人には予め質問を用意し、誰にどの質問を答えてもらうかまで事前に決めて貰った。スムーズに取材を進めることは元よりだがそれ以上に会話を委ねたら最後、収拾が付かなくなるのではと言う恐怖もあった。



流石に杞憂だっただろうか…などと考えた矢先


水田「じゃあまず枕投げの話からしていいっスか!?」


と来られた事でそれが必要な警戒だったを早々に悟ると、それを遮るように最初の質問を監督に向けた。各々察する通り、枕投げについてではない。




監督就任のきっかけ


最初の回答者は水田監督だった
 「実はトーベネックで競技を引退・退社した後、長瀬くんが小鴎を早期卒業して立ち上げていたスポーツブランド「ajitabetaides」に合流してたんスよ!で、そしたら数ヶ月後に知らない電話番号から電話がかかってきまして。てっきり商談だと思って出てみたら第一声「何をそんなかしこまるんだよ」と。その一言でわかったッスね。あっ、これは今村(前)監督だと。 」

水田監督は小鴎大学の出身で学生時代に同大学のエース格として活躍していた。覇桜学院の記者部も面識こそ無いが存在自体は予てよりであった。
しかし、この話し始めから分かる通り水田監督の実業団時代は、輝かしい学生キャリアに反して短命であった。そんな選手時代については3名揃って黙していたが、そこに何らか浅からぬ事情があったことは想像に難しくなかった。


「それで、今村さん曰くもう80になるから世代交代がしたいんだが、めっぽう本番に強かったお前に監督を継ぎたい、何ならもう理事会の承認は取ってあるって急に言い出すんで、メンタマ飛び出るかと思ったンスよ。ヤッベこれは逃げらんねぇわと思いまして、、、」


「これはきっと系譜だろうな…」
言葉こそ交わさなかったが、恐らくその時その場にいた取材陣一同の共通認識だったに違いない。雑談程度に覇桜学院の監督から今村前監督の話を聞いたことがあったが、現在の小鴎大学首脳陣と比べてはさておき、彼もまあまあ無茶振りな御人だったらしく、ある時は両大学の理事会の承認を先に得た上で合同合宿を提案、と言うよりは「え?まさかやるよね?」くらいの勢いで来られたことがあった程だと言う。或いはこの「上に予め筋を通しておく」と言うのが今村さんの常套手段だったのかも知れない。
 

そして水田監督は最後にこう述べた

「考えた末で返事しました、『承知しました』と。ただ、やっぱり相棒として長瀬くんにはそばにいてもらいたいということで、無理言って長瀬くんをコーチにしてもらいました。これは今でも良かったと思ってるっすね。同じ具合に村田くんも付いてきてくれてよかったっスよ。
特に村田くんは対校戦には感慨深いものがあるんじゃないッスかね?」

或いはこうして水田監督が腰を上げた事が小鴎大学の更なる躍進に繋がったとも言えるだろうか。

これまでも有力校の一角として名を馳せてきた大学ではあったが、1部昇格という厚い壁に阻まれていた部分を拭い去れなかった事実もあった。今村前監督の言葉を借りるなら、『老骨に鞭打ちながらでは到底叶わぬ志儀』と言うところだろう。水田氏に監督の座を託したのは、同時に見果てぬ夢を愛弟子に託す事でもあった。そうして水田監督は、小鴎大学を対校戦1部へと押し上げるに至ったのである。

枕投げと言う珍事もあったが、それも含めての名監督と言えよう。

去就とその先



再び枕投げの話題に舵を切ろうとする水田監督を制止して対校戦の話題を投げ掛けた取材陣だったが、ここで回答権を得た村田コーチが驚きの告白をした。


「小鴎大学🐧は対校戦を含む全ての体外戦を卒業🌸するんですが、これは新たな挑戦💪の始まりに過ぎません❗」


しばし取材陣に沈黙が走った後、村田コーチは「あれ、俺何かマズいこと言ったかな?(笑)」と言わんばかりの不思議そうな表情を浮かべた。

この記事が投稿される頃にはとっくに発表がされた後だろうが、取材の段階では恐らく殆ど口外されていない事だった。特にこの時の小鴎大学は水田監督が今村前監督から引き継いだチームが1部定着の空気を固めつつあった頃で、正にこれからと言う時期だった。

続けて村田コーチは別件を控えていた事もあり、早々と取材を切り上げる折に以下の言葉を残した

「実は今回、前回私が走った10000mを息子が走るんですよ❤これがうれしくてうれしくて☺
 こうやって小さな雛たち🐣が大きくなって羽ばたいて🕊いき、また新たな雛たちを育ててきたという歴史📜は、新生・小鴎大学🐧に必ずや引き継がれると思いますし、その灯🌟が消えることはありません✨」

そう言って、村田コーチは颯爽と宿を後にした。これもまた破天荒な村田コーチらしい様だったと言えようか
 

最後の質疑を担当した長瀬コーチには、今後の小鴎大学の方針を語って貰った。長瀬コーチも村田コーチのテンションに負けず劣らずの勢いでこう語る

 「そうですねぇ、わが校として対外戦に出るのは最後になるんですが、希望ヶ峰大学の新村監督などせっかくできたご縁も大事にしたいところですから、そう言った方々との関わりは残して今後は他校の皆さんの対外戦に注目していきたいところですねぇ!
 そしてわが校はといいますと…ここからは初出し情報になるんですがぁ…(笑)
 しばらく活動を休止しまして、準備が調い次第リセットということで世界線を大きく変えまして、ゴリゴリのハードモードに移行しようと計画してるんですよぉ!」


「ハードモード…?」
そんな疑問が一瞬過ったが、そう言えばこの界隈はどなたかが言った通りより厳しい条件を自らに課し続けるドMが多い所であった。「ちょっとはうちの監督の怠け癖を見習え」と思ったことはこの際置いておくとして、長瀬コーチは詳細を以下のように続けた


 「例えば広告の封印、記録会の人数制限、Z日本駅伝/H根駅伝の予選会実施、怪我による駅伝回避可能性の導入などですねぇ。これらを突破していずれはI雲/Z日本/H根の3冠を達成できるよう、目指していきたいですねぇ!
 このチャレンジがいつから始動できるかはまだわからないんですけれどもぉ、始動した暁には逐一進捗を発信していきたいと思ってますんで、ぜひこの辺りは楽しみにしていただきたいところですぅ!ではまたぁ!」


こちらの〆の挨拶に耳もくれず、長瀬コーチは去っていった。


取材陣A『……何か…嵐のような人達でしたね』

取材陣B『まあ、流石今村さんが強引に引っ張り込んだだけあるな。あれはもう小鴎大学駅伝部の伝統と言っても差し支えないだろう』

取材陣A『でもまさか対外戦線を退くなんて…うちの監督が聞いたら何て反応しますかね?』

取材陣B『まだ決着は着いてねぇ!って言うかライバルが1人消えてラッキーくらいに思うかのどっちかだろうなぁ。また注目すべき事が増えたな』


そんなやり取りをしながら取材陣も帰路に着いた。

今日も記者部は他大学の取材に赴く。新生小鴎大学の始動、その日を心待にしながら……