表舞台への登壇



竹村との出会いとその物語を一通り聞かせてくれた中本は、いよいよ対校戦本番の話題へと舵を切った。ここまででも余程の熱量だったのか、既に傍らの空っぽになったコーヒー牛乳瓶は13を数えていた。



「竹村の分も対校戦で活躍すると心に誓ったわたくしは、対校戦に向けた最終調整の期間に入ったのでございます。チームとしては初めての対校戦1部でございまして、皆が対校戦の日を心待ちにしておりました。

さらに種目も得意としている5000mがあるということで表彰台も狙えるのではないかと、チームの士気も高まっておりました。」



この『5000mが該当種目』という点は当時の1部各校が少なからず意識するところだった。


スピード軍団として磨きをかけていた都大路走者大学の13:00ランナーの輩出率は凄まじく、当時1つの大学において歴代で5人以上存在していれば称号的だったものを、同大学は既に20以上と言う人数を擁していた。当然そんな英才教育の下で研鑽を積んだ中本もその例外ではなく、この時既に13:0台を叩き出す領域にまで来ていた。この5000mは、正に都大路走者大学の主戦場とも言うべき種目だったのである。


故にこそ、都大路走者大学を相手取っての5000mを余儀なくされた1部の緊張感は大きかった。それまでの「長い距離に上級生を」という定石が崩れ去ったのである。何よりそれを、都大路走者大学自体が敏感に感じ取っていた。




ところが...中本本人は、当時の状況をこうも語る


「1年生こそ不安があるものの、2~4年生には各大学のエース核と互角に戦える選手が揃っておりました。それゆえわたくしの役目は5000mで優勝することだったのでございます。

しかしながら今まで記録も順位も気にせず突っ走ってきたわたくしが、初めて順位を意識してレースに臨もうとしたことで、本来の自分の走りを見失ってしまったのでございます。」


『緊張』そんなニュアンスの言葉が発せられたのもこの時が初めてだった。無論竹村の分までという思いがあったからと言うのも大きな理由の1つだろう。



続けて中本は語った


「そして迎えた対校戦当日、わたくしは1番を取ることだけを考えておりました。そのために考えた作戦が先頭に着いていって、らすとすぱーとで逆転するものでございました。優勝を争う選手として考えられたのが、覇桜学院大学の大庭選手でございました。しかしながら、わたくしは1500mが主戦場でございまして、U20世界選手権1500mでもスタートから残り200mまで先頭をひた走り、4位に入賞しておりまして、すぴーどには自信がございました。」


「しかし対校戦本番に向けてアップをしながら、レース展開を頭でいめーじしようとしましたが、うまくいかなかったのでございます。この日は対校戦出場枠を勝ち取れず大粒の涙を流した同級生竹村もわたくしの付き添いをしてくれていたのでございますが、わたくしの様子がおかしいと感じていたようでございました。


ところがアップを終えた直後、竹村がわたくしに声を掛けてきたのでございます。『りょーへーらしく最初から最後まで突っ走ればいいよ』と。1番悔しい思いをしたはずの竹村の言葉でようやくわたくしはいつもの自分を取り戻したのでございます。


わたくしの考えていることなど何もかもお見通しというような竹村の言葉で本来の自分を取り戻したわたくしは、いつも通りスタートから先頭を独走し、対校戦5000mで優勝を果たしたのでございます。


本当は自分が1番対校戦を走りたかったはずの竹村がわたくしのさぽーとに徹してくれたおかげで、結果を残すことができた…。わたくしはこの時初めて誰かのために走るということの意味を知ったのでございます。」



実際に中本と凌を削った当学院のOBである大庭は(文学部日本文学科)、当時の中本の様子をこう語っている。


「アップ中の中本選手は、正直13:0台を持っているランナーとは思えないほどぎこちなく、他校のあらゆる選手を意識しているようで、さながら猛獣に怯える子犬のようだった。しかし召集が始まった時、彼の気迫やフォームの切れ味はそれまでの恐怖にまみれた様とは全く別人で、私を含めた他校の選手を威嚇するのに十分な威力を携えていた。私は何とかして都大路走者大学の出鼻を挫く走りを自らに求めて先頭を走ったが、彼の闘志はそれを許さなかった。この数十分で何が彼をそこまで触発したのか分からなかったが、そこにただならぬ理由と秘めたる想いがあったことは誰の目から見ても明らかだったことだろう」



これが、中本が表舞台にて初めて見せた走りだった



上述の取材二通り「終盤まで先頭に付いてラストで逆転」と言うのが中本の戦術だったが、この時の中本は終盤どころか2000mの通過を待たずして先頭に立ち、大庭に対して容赦ないふるい落としをかけ続けた。ある意味「ラストが勝負」という共通認識を持っていた大庭と我々覇桜学院スタッフにとって想定外の展開は、都大路走者大学陣営の指揮を大いに高めた。


そんな中本の奮闘による鼓舞もあって、都大路走者大学は初の1部にして総合準優勝と言う戦績を残すに至り、その歓喜の雄叫びを会場に轟かせる事となった。僭越にもこの時の優勝は我々覇桜学院であったが、その差は0.5点と1歩間違えれば初出場にして初優勝と言う快挙を浚われるところであった。



中本は対校戦を通じた変化を以下のように締め括る


「対校戦の出来事により、誰かのために走ることで、自分1人で走っているだけでは見ることの出来ない世界を見ることが出来ると感じたわたくしは、この頃から練習面や寮生活においても、わたくしなりに周りのことを考えて行動するようになったのでございます。」



1つの大きな過渡期を見届けた我々取材陣は、この総括から更なる興味を投げ掛けた…



to be continue...