近くにお店も1つしかなかった
山道を1時間が超かけて通学していました
一番下の妹は中学のときテニスをしていて
帰りが遅くなることも
日曜も部活で出ることもあり
その時母にお弁当を作ってもらって
いたけど、そのおかずが粗末で
他の部員と一緒に食べるのがはずかしかった〰(>_<)と
それで母にその事を言ったようです
そしたら母は一生懸命、ウインナーや
唐揚げや作ってお弁当を作ってくれた
そうです
妹と私は10歳違います
私も小学生の時、土曜の昼から
学校でソロバンを習っていて
母にお弁当を作ってもらっていました
その時のおかずが溶かしたたまごのうえにソーセージを切ったものを載せて
焼いてわ四角に切ったおかずしか
入ってなくて
他の友達と一緒に食べるのが恥ずかしかったのを思い出しました
母は料理は上手な方だと思います
ただ近くにそんなものを売ってる
お店がなかったのです
妹が中学になる頃には姉は結婚していて
休みには町の方の大きなお店に買い物に
連れて行ってもらえるので
唐揚げ等々が出来たと思うんだけど
私が小学生の頃は母は何にも乗れないから、近くの店で買うしかなかったんでしょうね
皆と一緒に食べるのが恥ずかしくて
お弁当箱が反射して眩しくて涙がでたのか?惨めになって涙が出たのか?
泣いてました😢
友達も見てみぬふりしてました
4,5人いたからなー
ソロバンが終わったら、皆と別れて
私だけまた1時間山道を歩いて帰ってました
姉はいなかったな〰〰
そんな思い出話を妹として
『お母さんの定番のおかずはたまごの
うえにソーセージを切って焼いたもの』
だったがねー😵
10歳違っても同じだったんだー
玉子焼き作れなかったのかな?
姉が結婚してからは義兄のお弁当の
おかずを作っていて、姉は詰めるだけ
だったけど、必ず丸めた玉子焼きが
あったな〰(^-^)❤
私が小さい頃はきっと材料がなかった
のてしょうね
同じ思いしてたんだー
二つ下の妹は中学高校とテニスをしてた
から、帰りはいつも山道を歩いて帰って
きてたけど、同級生に男の子が二人いて
いつも一緒に帰ってたから、暗くなって
も大丈夫だったらしいです。
父が亡くなってから母の話をすること
が増えたような気がするな〰(^-^)❤
父が生きてる頃は母のそんな話は
悪口かな?と思ったりして
言えなかったから〰(>_<)
4姉妹両親に対する思いはそれぞれです
良いことも悪いことも