亡父のことを、くわしく取材していただきました
「友人S」名で、前書きから「喪のしごと」にてんてこ舞った仲間のひとりとして、
登場しております
「そんな、親の死に関する実務が多すぎて倒れそうになっている大人女子のために、この本を書いた」
と動機を明かされている理香さん。
たしかに…
私がいまだ倒れがちなのも、遠因は、夜の看護での「超寝不足」から。持て余している「実務」もたくさんあります。
理香さんご自身が、御母堂の「喪のしごと」をされたのは、42才の頃だそう。当時、娘さんは、まだ2才半。
「乳飲み子を抱えての「喪のしごと」は、まるで「子連れ狼」。次々と向かってくる強敵を滅多切りにしながら進む、荒野の素浪人みたいだった」
と、奮闘ぶりを、ふり返られています。
そんなに大変なの?
と、首を傾げる「おしごと前」の皆さまには、
「まあ、読んでみなはれ」です(笑)
本書には、さまざまな女性たちの生の声が、てんこ盛りです。
さらには、専門家への取材をもとに「こんなときどうするの?」への、ハウツーも、しっかりとカバー
役に立つことこのうえなし、です
ベストセラーとなった『お年頃読本』につづき、「もっと早く読めていたら」と、嘆息した本でした。
両著とも、ムック本レベルの実用性。ユーモアと情緒。
小説家としての、写実性と、洞察。
「おしごと前」の女性たちは、これ一冊で、全体像がつかめますよ!
まだ、専門書を読むほどでない方、介護中で気力のない方、なども。
エッセイなら、読みやすく、あとで、大きな助けとなることでしょう
すんなりと追える、サバサバした明るい文体に、いつしかスーッと、気が晴れてゆきます
「全国の女性たちのために」
と、理香さんが思い定めたときに発動する、あのファン多き「観音力」が、頁にあふれんばかりです
しみじみ、思いました。この「力」は、理香さんのお母さまから、連綿とつづくものなのだなあ、と。
お母さまの「横森サチ子先生」は、教職のかたわら、子どもの本の研究者として、読書会に、講演に、パワフルに飛び回る人生でした。
50年前の日本では、ライフテーマに生きる女性の、言わば、開拓者のひとり。
73歳で世を去られた時も、葬儀など、まわりのお仲間の方々が尽力してくださり、立派なものとなったそう。
理香さんの目から見た、お母さまの「喪」は、
まるで伝記のようで、胸に迫りました
感動しつつ「ほんとのところ」が学べてしまう、赤裸々な筆づかい。若き日から、お洒落な女性誌での「Sex and the City」風 のコラムでならした、理香さんならでは、の一冊です。
私こと友人Sが、喪主にふさわしい「漆黒」の喪服を買いに、あわてて、伊勢丹や丸井をハシゴした話も出てきます(縁起が悪くて、生前に買いたくない、喪主あるあるです)
理香さんが立ち上げた「(一社)日本大人女子協会」の副理事としては、もう、金額まで、ぶっちゃけないと(笑)
ちなみに、理香さんのファイナルアンサーは「レンタル喪服でもいいのでは?」という、軽やかさ
そんな、女どうし、互助会精神にあふれた「備え、葬儀、手続き、遺品、法事、片付け」のじっさい。
そして、じつは、このハードルこそが、親の最高の遺産である「自分」へと、まなざしをむける、きっかけとなること。
たいへんだし、悲しくもある「親の喪」ですが。さいごは、遺された私たちの、生きる力につながるのです
理香さんの筆に導かれ、クタクタな私も、かなり励まされました
じつは、感じてはいたのです。数年続いた、ケアのころから…
早くに母親を失い、ひとり遺される娘が、父親の死を悲しみすぎないよう、今、父はわざと、苦労をかけてくれているのでないかなあ、と。無意識に。
さらりと亡くなり「おしごと」もろくになかったら、私は、泣き暮れるばかりだったでしょう。心が「娘」のままで。
夢中で完走したあと、だからこそ、
「はあー、やるだけやったなあ。せいせいした。お父さんも、満足したよね?」
と、立ち直る力がわく気が、したのです。心がすっかり、親の「親」となることで。
ほんとうは、子の世話になどなりたくなかったはずの、自由人だった父が、さいごの「親ばなれ」を投げかけてくれたこと。
魂レベルでの「親の愛」に、打たれた瞬間でした
そんなことも、ふたたび思い出させてくれる、味わい深い本です。
いつか「喪のしごと」をする、すべての皆さまへ。もはや「大人男子」の皆さまへも、太鼓判で、おすすめいたします。
時代がどう揺れようと、人は生き、子は生まれ、親は去ります。
バブルを駆け抜け、ロハスもきわめ、聖俗ともに通じた理香さんの手による、私たちみんなの、「喪のしごと」
大人女子として、これからも、こんな風に地に足をつけ、世をたしなんで、
心豊かに、人生のペーソスをも慈しんで参りましょう
大人女子 親の喪を機に たくましく✨