ド近眼なため、遠視が来るのは遅かった。
コンタクトレンズをしないと一日が始まらず、終日着用。
使い捨てコンタクトレンズの度数を四十代後半、うっすら弱めにしたぐらいで間に合っていた。
近視は遠視の反対だから、近視矯正を弱めると、遠視も緩和するというわけだ。
私は執筆業だから、近距離矯正ができてればそれでいい。
遠くまでバッチリ見える必要はなく、運転した時に危なくないレベルの視力が保てれば必要十分。コンタクトレンズを外すと、近いところで小さい文字も読める。
それでも、何度か老眼デビューしようかと思ったことはある。
もう七、八年前のこと、「セックス&ザ・シティ2」を見た帰りだった。
あまりの楽しさに思わずサントラCDを買い、電車の中で夕方、にまにまライナーノーツを読もうとした。しかしその細かい字に全く焦点が合わず、読むのを諦めた。
老眼になると、腕の長さというのが気になる。
私は身長152センチだから、腕もそれなりに短い。となると、文字の書いてある紙面を遠くにするにも、限界がある。
主宰するコミュニティサロン「シークレットロータス」の若い仲間にもよく、
「りかさん、遠すぎ~」
と笑われるようになった。
新しく購入した電化製品や、洋服のタグを読もうとすると、かなり遠くにしないと読めなくなったのだ。
腕が短いので、精一杯伸ばしても、悲しいかなそんなに遠くならない。
でも、若い人(といってもアラフォー)から見たらその距離は、「遠すぎ~」なのである。
そんな頃、家族で正月旅行に行ったカリフォルニアの小さな本屋で、レジカウンターに可愛いルーペが売っていた。
ちょうどクレジットカードの大きさで、枠が色んな模様になっている。
「ああ、やはり御同輩が・・・」
と仲間の存在に温かい気持ちになりながら、なにせ安かったし、気に入った模様を購入した。が・・・。
小さくてどこにでもしまい込めるため、必要な時に出てこないのである。
何年か前、トイレの電球が切れた。
電球を変えるため、まずはガラスの電球カバーを取り外さなければならない。
その本体裏に、小さい薄い文字で取り外し方とつけ方が書いてある様子だが、字としては見えてこない。
まず、電気のついていないトイレは、ドアを開けても薄暗いのだ。
トイレこそ日当たりよく! なんて、南側に大きい窓を付けている家はあまりないだろう。大抵は北側に、ひっそり存在しているものだ。
私は3.11以来ベッドサイドに常備している、非常時用の懐中電灯を取りだし当ててみたが、その文字は、明るくしても読めないレベルの薄さと細かさだった。
私は初めて、そんなお洒落なものを作ったデザイナーを恨んだ。そして必死で、どこかにあるはずのおしゃれルーペを探した。
トイレのドアを開け放してもう一度用を足さねばいけないほど、ルーペが出て来るのに時間がかかった。
結局それは、あまり使っていないお出かけ用のお洒落バッグのジップポケットの中にあった。入れたのは、何年前だろうか。
おしゃれルーペと懐中電灯を駆使して、ガラスカバーの取り外し方を読み、数時間後、トイレの電気は復活した。
こんなことで苦労するようになるとは、人間、長生きしてみるものである。
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