な早いもので次男が旅立ってから、3週間になります。。

回顧録前に、

亡くなった日の事から葬儀までの事を先に。。



11/12(土)am7:20頃 

私の携帯へ病院から連絡が。

明け方から体調が悪化しているので今日病院に何時頃来れるかと。


同日am9:00頃 病院着

(主人は仕事場から向かうので私だけ先に到着)

不織布の割烹着、帽子、ゴム手袋装着し、病室へ。

目の前にいる息子の姿に愕然としました。。


私の知っている、、、息子の、、姿ではない。

いや、もちろん息子なんだけれど、、

目は、、黒目が上に、、ほぼ白目を剥いていて、、

顎で大きく息をし(顎下呼吸)、

たまに大きく唸り声を上げ、、、

ショックでした、、、

涙が溢れてきて息子の顔がまともに見れません。

大きな声で名前を呼ぶと、一瞬目が、、

一瞬だけ、黒目がさがり、反応を示すようですが、

見えているのか、、?

手は少し握り返してくれているよう

(私がそう思いたい願望か、、)に思えました。

とにかく、ずっとずっと名前呼び続けました。。


10分程たった時、看護師さんから、

ごめんなさい、10分経ったので面会は、、、

と終了を言われました。

こんな時でもたった10分なんですか?

と思わず少し声を荒げてしまいましたが、

すいません、決まってる事なので、、と。

(コロナで本来面会中止のとこ、末期患者は面会を週1、10分のみ面会を許されてる)


病室を後にし、パパの病院到着を院内で待ちました。

10時半ごろ主人が到着し、病室へ、、、

10分経ち病室から戻ってきたパパの足取りも重く、、

いつも陽気な楽天家なパパが人目を気にせず、

号泣しています。。


程なくして私の携帯が鳴り、

主治医からお話しがあるのでと別室へ向かいました。


主治医

今朝方から顎下呼吸、血圧も徐々に低下してきています。今日、明日かと、、。

顎下呼吸は苦しく見えますが、見た目程本人的には

苦しくない、意識もほぼないので痛みや苦しみは感じてはないと。

お父様お母様、今日はどうされますか?

病室には居て頂く事ができませんが、、。

(病院は都心、自宅は郊外なので高速道で早くて1時間、渋滞はまると2時間)


すかさず、私はこの近辺(泊まるとこ)にいますと。

主人は仕事の都合で一回離れますけど、すぐ

向かえるようにはするつもりですと。


時計を見ると、もう昼になっていました。

こうしてる間にも息子の命の灯火が少しずつ小さくなっているのかと思うと、いてもたってもいられませんでした。。


主人は15時ごろ一旦病院を後にし、17時ぐらいまで仕事をして自宅に19時頃帰宅予定でその後、長男とばあちゃんを連れてこっちに向かうと。

その間に、、万が一の場合は、すぐに向かうからと。

私は17時まで病院のロビーに居座り、その後、

最寄り駅には宿泊できるような場所がないので、

隣り駅に移動。カプセルホテルは満室で、

とりあえずと思い、ネットカフェへ。


そして、21時ごろ、私の携帯が鳴りました。。

病院からのコールを確認し、胸が締め付けられる状態で電話にでました。

〇〇くんの血圧が70切ってきました、、

今から病院に来て頂けますか?

ただ、今すぐ危ない状態か、、

この状態で数時間持つ方もいらっしゃるので、

どうだとは言えないのですが、、


タクシーで10分で病院に到着しました。

タクシー乗る前に主人に電話をしたのですが、

向こうも色々あってその時点でまだ自宅にいて、

でもとにかくすぐ出発すると。


病室に入ると、、

朝の顎下呼吸は治まり、

ゆっくりゆっくりと静かに呼吸をしていました。

目はもうほとんど開いていない状態です。

モニターを見ると血圧65前後。


看護師さんが懸命に明るい口調で

〇〇くん、お母さんが来たよー!!

私もすかさず、

お母さんだよ、わかるー?

と、一生懸命名前を呼び続けました。


〇〇、ありがとう。

〇〇、愛してる。


どんどん血圧が下がってきました。

呼吸もひとつひとつの間隔が長く、、

(お母さんを置いて行かないで、、)

と言う言葉が無理矢理引き留めてしまいそうで、

言葉を飲んでしまいました。

とにかく、とにかくずっと名前を呼び続けました。


呼吸が止まった、、と思うと、

30秒ぐらい経ってからもう一呼吸。

少し呼吸を繰り返したら、また止まって、、

30秒ぐらいしてゆっくりもう一呼吸。。



そして、、、

呼吸が止まり、モニターの、ピーって音が病室に響きました。。

pm9:14ごろでした。。



看護師さんがモニターだけうるさいから先に外しますね、、、と病室から出てゆかれました。


9:45頃でしょうか、主治医が部屋に来て、

ご家族全員揃ってから確認とさせて頂きますね、と。



pm10:40頃ようやく、主人が長男とばあちゃんを連れて病室に到着。

pm10:44死亡の確認。

闘病生活2年半、22歳でした。。



看護師さんに洋服に着替えさせて頂き、

荷物の片付けをし、葬儀屋さんに連絡を入れ、

地下の霊安室へと移動しました。


10月末に余命宣告を受け、

当日バタバタ急いで決めるのも嫌なので、

あらかじめ地元の葬儀屋さんにお願いをしていました。地元からお迎えに来るので、1時間半ぐらい

待ち、息子が自宅に戻ったのは、

日をまたいだ11/13am2時をまわってました。

お布団をひき、枕飾り等の準備をして3時ぐらいだったでしょうか。


実は10月2日に一時退院して、

10月9日に緊急入院(下痢、腹痛による)したんです。。

10/2から7ぐらいまでは、すこぶる体調もよく、

食欲も旺盛で、散歩や買い物にも行けるほどだったんです。

が、、10/8に突如、腹痛と下痢で10/9救急外来で入院となり、1ヶ月、、、

まさか、1ヶ月後に遺体となって家に戻るとは、

本人も家族も思ってませんでした。。





2020.4月末急性リンパ性白血病と診断

ガン抑制遺伝子欠損により予後不良

化学療法2クール目で寛解

2020.9月臍帯血移植

大腸GVHDグレードIIIにてテムセル投与

2021.1月本退院

2021.4月末再発

ビーリンサイトにて寛解

2021.8月CAR-Tキムリア投与

2021.9月本退院

2021.10月末再々発

ベスポンザにて寛解

2021.12月末ハプロ移植希望のため転院

2022.2月兄から末梢血によるハプロ移植

2022.4月末本退院

2022.8再再々発

クロファラビンにて寛解

2022.10.01〜08一時退院

2022.10.09緊急入院

大腸GVHDグレードⅣ

肝機能悪化

2022.11.12肝中心静脈閉塞症により

22歳で旅立ちました。早すぎる死でした。





しばらく書いていなかったブログ

ハプロ移植後から、

記憶を辿って書いていこうと思います。



ただ、同じ病気で闘病されている方、ご家族様、

このブログを読んで不安になってしまうかも

しれません。

私も実際、他の方のブログを読ませて頂き、

心が痛みご冥福を祈るだけではなく、

息子に置き換えて、もの凄く不安になりました。

が、、息子が最後はどういう道を辿るのか、、

不安でしたが知っておきたいという気持ちも

確かにありました。

不謹慎ですが、亡くなった方のブログの過去ブログを全部読んでみたりも。

覚悟を決めるという気持ちと、

自分にとって最悪の悲しみの予防線として

知っておきたかった。。

もし、私と同じようなお気持ちをお持ちでしたら

読んで下さい。。

でもそうでない方にとっては、

単に不安を煽ってしまうのではないかと

心配です。


ただ白血病は本当に千差万別と言ってよいほど、

色々なタイプ(型)あり、治療法も違ってくるので、

今、闘病中の方もご家族様も

諦めずに病を克服できるよう、

心から応援しております。



ご無沙汰しております。


2/4以来、ブログを休止しておりました。

休止理由は私自身の気持ちの持ちようからで、

フォローして頂いていた方々には、

どうしたのだろう??とご心配おかけしたかと

思います。。


2022年2月3日に兄から次男へハプロ移植をし、

順調に快方に向かっておりました。




が、、、

闘病から2年半、

2022年11月12日 22:44

次男が旅立ちました。

直接死因は肝中心静脈閉塞症となります。

11月20日、家族葬にて見送りました。


励ましや応援下さった方々、

ありがとうございました。

一生懸命最後まで頑張りました。


母から息子へ

本当にありがとう。

母さんの子に生まれてきてくれてありがとう。




2/4から今までの経緯を

思い出しながら、少しずつ書いていこうと

思っております。