娘※外来 10月6日(金) | 心の夜明け~新しい時代とともに~

心の夜明け~新しい時代とともに~

~アラレのひとり言~
2016年5月に仲良しで最愛の夫を亡くしました。
夫の闘病記を綴り初めて
今は大好きなお寺と神社
参拝録や日常のことなどを書いています。

昨日6日は娘の外来日病院静岡の病院へ

お父さんが亡くなり息子が運転して
行ってくれてたんだけど…
お父さんを亡くしてすぐの頃
人に勝手なことを言われたビックリ!④ビックリ!④ビックリ!④
言い返す気力などない時で
言われるままに心は泣いてた
更なる傷がついたえーんえーんえーん

両足麻痺した車椅子使用の外出が
どんなに大変なことか…
公共交通機関を使えと言われても…
長時間車椅子に乗り電車に揺られる
ことが、本当に大変なことなのだ
健常者が車椅子に乗るわけでない!
まして娘は昨夜は、両足麻痺の他に
不随意運動と突然記憶がなくなり
私ひとりで外へ連れ出すことは無理が
あった


言いたい人は好きに言ったらいい!


昨日は、私の運転で静岡まで行って
きた
私が息子に頼ると息子まで悪く言われ
ちゃうから…
私がなんとかしなきゃ
私の心が娘に見えると静岡の病院へは
「行かない!」
「どうせ治らない病気なんだから
通院も辞める!放置でいい」と
言い出しかねないタラー
お父さんがいなくて静岡の病院へは
通えないんだよと昨夜泣いた日がある

平静を装い私の不安を隠して娘に
「Mちゃん!ママが静岡まで運転して
行くからね爆笑いざとなればママだって
なんでもできるから心配要らないよ」と

高速で行くことにした
“東名は私は生まれて初めて運転する”
中央道や関越道はしょっちゅう運転
するけど…
えーっショボーン東名…不安だらけだショボーン
どこにコーナーがあってJCTがどこで
とか道を知らないから不安

山道や峠道なら不安などないのにニコニコ
大きい道路が大嫌い(山育ちだから)

昨日は朝8時に家を出た
緊張しまくりえーん
圏央道からやっと東名に乗ったら
幾らか不安が薄れた
中井PAで休憩をした



野良猫ちゃんがいた



東名は追い越し車線を120キロを
保てたから走りやすかった
お陰で予定通りの時間で静岡に着いた
うちから高速で病院まで3時間と出てた
11時に病院に着いた
良かった~無事到着できたごめん!

心配してくれていた息子に
着いたよLINEを送ったら
「はやっびっくり」って
「高速ですからね~爆笑」と






静岡に入り高速から海が見えて
テンション上がった波
娘が写真を撮ってくれた




雨予報だけど、まだ降らずにいて
くれた


病院は先ずは主治医の診察から
予約時間はうちは着いた時でいいよと
言ってくれてる
6人待ち
12時30分に呼ばれた
先ずは、障がい手帳の再認定用の
診断書書き
そして今の状況説明をして(こと細かく)
娘本人の様子
お母さんから見た様子を話して
今ある症状を先生に話した
今回はね、関節痛が目立っています
箸は持てなくなりフォークもダメで
プラスチックのフォークを使用
これなら重くないと
ペットの蓋は開けられない
ペットを落としてしまい、コップを
持つことはできないからプラスチック
のコップにストローを挿してお行儀
悪いけど手で持たずにそのまま口を
近づけてる爆笑

這い這いもできなくなった
今は家の中は園芸用の人が座って
移動できる物に乗って移動している爆笑
ここまでは驚くことではない
五年間これの繰り返し
一番最初に出た症状だからなんとも
思っていない

ただ関節痛は私が小児リウマチでね
小学三年で発症し一年間入院とリハを
小学四年も一年間欠席
遺伝すると言われている
副反応とわからない時も私は真っ先に
リウマチや膠原病を疑い膠原病内科で
検査をした
この時(五年前)は問題なかった

静岡の主治医が膠原病を疑ったビックリ!④ビックリ!④ビックリ!④
採血となった
本来なら病気があったら他の病気を
増やすことは嫌だなと思うが
娘達の病気は検査で他の病気が見つか
ってくれたら儲けものなのだ
確定された治療法があり治療ができる
今回だけは願ってしまう母でした
膠原病でしたと言われたい

根本治療ができなていないから
車椅子使用になったり良くなったりを
繰り返しているのだ

もう、先生も治ると希望を見せる事は
言わなかった
いつも悪い状態になった時でも
先生は「パルスはやらない!」と
言ってたが昨日は「治療どうする?」
だった
もう娘も20歳
現実をしっかり見て治らないなら
治らないなりに生きるほうが得である
と思った

なので、障害者との交流も深めている
ワクチンに拘らず、障害を持つ者同士
そこから見えるものは沢山ある
未来が開けてくるからもう治るとか
そうゆうことは横に置きなさいと娘に
話した
先生もこれは、あ~いいことだねと

一旦、診察室をでて採血をして
次の目的はリハビリ
車椅子の再認定の為の検査
娘は車椅子バスケを始める方向で
いること
障害者との交流を深めていること
作業所へ行かせていることなども
話した
娘は車椅子に戻ると障害者向けの
ハローワークを訪れる
障害者枠の雇用で職探し
パソコンが得意な娘は、車椅子に
なったらそれを活かした仕事をすると
パソコンがなんでもできて知的が
なければ健常者枠での雇用OKの所も
多い

リハビリだけは住所地近くを探して
もらうことにした

リハの測定が終わりまた診察室へ
採血結果は来月になると
11月10日に外来予約をした
最近は少し痛み止めが効くから
ボルタレン錠剤を処方してもらった
そして嫌な課題
来月外来時に入院するかどうか?
(治療をどうするか決める)

会計を済ませて急いで帰りに向かう
雨が強いΣ(|||▽||| )
高速は辞めた
山中湖経由で道志を抜けて帰ることに
安全第一だ
高速で事故ったら即死だもの

時間なんかかかったっていい!!!
私のヘルニアが再発したってそんなの
構わない

山中湖で休憩してノンストップ
娘に「お父さんやR君(兄)なら観光して
くれる(くれた)のにごめんね
ママはそれどこらじゃな〜い笑い泣き
霧が深くなったら嫌だし
真っ暗になるまでに山中湖から道志道
に入りたいから
道志道は慣れてる道だから濃霧たろうと
大雨だろうと平気だから、寝てなさいと
言った
疲れて寝たいのにママが可哀想だから
と起きてるから
道志道なんて道を把握してるから
次は右コーナー、左コーナーはどこ
ヘアピンカーブはどことちゃんと
分かってるから安心しなさいねと

娘は「おばさんのクセに地元民だねびっくり
コーナーを減速しないで抜けてて…」と
以外な一面を見たらしいアセアセ




高速運転もやればできるじゃんガッツ


20時に家に無事帰ってきました
帰りは14時30分に病院を後にした
ベタだとこんなに時間がかかる~
この道を息子は4時間と新記録
旦那ちゃんはちょっと違うルートで
5時間


さすがに何時間もの運転は疲れたガクリガクリ
息子に家に着いたよLINEと
「おかあはとにかく寝ます。
夕飯はないです。ごめんね」と送り
娘と速攻寝たzzzzzzzzzzzzzzz

R ごめんねm(_ _)m
今日は許してね


先日、市役所の安全部防災科から
娘宛に黄色い封筒が届いた
びっくりなにこれ???
市役所の防災科ってなに?と開けてみた
災害時の避難のお手伝いが必要ですか
とゆうものだった
障害者手帳2級所持者も対応だからと

災害時の避難お手伝いをお願いするには
登録が必要だから必要な方は登録をと

息子が居ない時間帯が長い
いつ災害が発生するかわからないし
我が家は外階段があるから登録する
ことにした
安心して居られるから!!
じゃないと今の状況だと娘は自力で
逃げられない
私も付き添う
そのまま母娘で死を迎えることになる

きっと、3.11はこの制度の登録をして
あっても大規模な災害だったから
間に合わなかった人が沢山いたん
だろうな…

私の知り合いは障害を抱える母がいる
災害時はもう逃げることなどできない
から諦めようねと話していると

赤ちゃんじゃないから抱いて逃げる
ことなどできないものね

この通知のことは息子にも話した


うちなんかも首都直下地震が来たら
死はま逃れないであろう…
奥多摩湖があるから
その水が流れ出したら\"d\'(∀・*)アウトォ!!
この事は東日本大震災の時に
旦那ちゃんともよく話し合っていた
旦那は「高い所へ逃げろ」とゆうが
高い所がない!!!
車でどっか遠くへと行っても道路も
陥没だろうし
娘が障害者の時は本当に困る問題




膠原病のことは
娘の主治医の副反応患者さんで
ここで膠原病を発症したとゆう
もちろん副反応発症当初はなんの
疑いもなかったと
なので娘は一応膠原病の検査を
症状が同じことから


主治医もリハの先生も話しの方向性が
変わってきたねと娘も気づいたと!
もう大人になった証拠なのだ

どんな障害を抱えていたとしても
目指すは「自立」である


我が家は「死」は特に身近なものと
なってしまった


どんな状態になっても現実をしっかり
受け入れること
それさえできれば道は開けるから!!!
まだまだ娘は未来を変えることは
できるから!!!
どんな自分も愛して大好きでいてね!