第2次大戦末期の沖縄

今から77年前の無残としか言いようがない沖縄戦の惨状

「原爆の図」で知られる丸木位里 俊が描いた「沖縄戦の図」

1985年に著した沖縄戦の図」について丸木夫妻はこう語っています

「原爆の図を描き 南京大虐殺 アウシュビッツを描きましたが、

沖縄を描くことがいちばん戦争を描いたことになります」と語っている。

この絵を沖縄私立山内小学校2年生の徳本穂菜(ほのな)さんは

宜野湾市の佐喜眞美術館を家族と訪れその絵を見たショックの大きさを

綴って(文章にして)6月23日沖縄全戦没者追悼式で朗読した

その模様をここに・・・・・・・・・・・・・・・・

平和の詩 全文

こわいをしって へいわがわかった。

 

びじゅつかんへを出かけ

おじいちゃんや

おばあちゃんも

いっしょに

みんなでお出かけ

うれしいな。

 

こわくてかなしい絵だった。

たくさんの人がしんでいた。

小さな赤ちゃんや

おかあさん

風ぐるまや

チョウチョウの絵もあったけど

とてもかなしい絵だった。

おかあさんが

77年前のおきなわの絵だといった。

ほんとうにあったことなのだ。

たくさんの人たちがしんでいて

ガイコツもあった。

わたしとおなじ年の子どもが

かなしそうにみている。

 

こわいよ

かなしいよ

かわいそうだよ

せんそうのはんたいはなに?

へいわ?

へいわってなに?

 

きゅうにこわくなって

おかあさんにくっついた。

あたたかくてほっとした

これがへいわなのかな。

 

おねえちゃんとケンカした。

おかあさんは、二人の話を聞いてくれた。

そして仲なおり

これがへいわなのかな。

 

せんそうがこわいから

へいわをつかみたい。

ずっとポケットに入れてもっておく。

ぜったいおとさないように。

なくさないように

わすれないように

こわいをしって へいわがわかった。