イスラム過激派組織、「イスラム国」に2年近く拘束された末、脱出に成功した、イラクの少数派ヤジディ―教徒、ラミア・アジ・パシャルさんが取材に応じた。

 

いつの日かヤジディー教徒の(声)になりたいという思いが・・・・・悪夢のような体験を切り抜ける原動力となったと語った。

イラク北部「少数派ヤジディ―教徒の村」シンジャル近郊コチョに住む、ラミア・アジ・パシャルさんは両親と12人の兄弟たちと幸せに暮らしていた。

 

ところが・・・・・・2014年夏、突然(IS イスラム国が侵攻。

 

「とても幸せだった生活は一瞬にして終わる!!」

 

ISは逃げ遅れた村人、千数百人のうち、男性と高齢の女性を殺害。

 

若い女性を、”性奴隷”として売買するため拉致。

16才のパシャルさんは、ISの戦闘員に4回転売され、その都度暴行された。

 

地獄のような生活の日々、爆発物の製造も手伝わされた。

 

何度も脱出を試みたが、その都度、連れ戻され、ムチでぶつなどの拷問を受けた。

最後には、イスラム法廷で、両足切断の刑が出されたが、別の町の戦闘員がパシャルさんを「買う」と申し出たため刑の執行はなかった。

 

16年4月友人2人と、脱走するも、友人2人は地雷を踏んで即死。

 

後方にいた彼女は意識を失い病院に運ばれ、ヤジディ―教徒を支援する団体の手によって、独・ㇱュツットガルトに送られた。

 

今は、同様にドイツに逃れた、二人の姉と再会し、独、南部、ウルムで生活する。

 

逃亡中、地雷により重症のやけどを負い、顔に深い傷を受けて、片目を失ったパシャルさんは、サハロフ賞受賞の知らせが自分に力を与えたと、語っている。

人々が私の味方だと思えるようになったので以前よりも強くなったような気がする。

 

私の取り組みに共感してくれる人が大勢いる。

 

将来の夢は教師と活動家になることだという。

 

サハロフ賞授賞式は、フランス・ストラスブールで行われ同じく奴隷として拘束されていた

ナディア・ムラドさんと賞金5万ユーロ(580万)を受け取る予定。