中国古典「史記」に両雄並び立たずの古事がありますが、相撲界の白鵬時代の固となった大鵬と柏戸。まさに二人の強豪、両雄ですが二人の対戦は1960年1月場所から1969年5月場所までの58場所中の37回です。

うち千秋楽結びの1番が、21回 千秋楽両者優勝圏内の戦いが5回(相星決戦が2回)と両者拮抗の追いつ追われつの戦いです。

なかでも特筆に値する取り組みが1963年9月場所の千秋楽、二人とも全勝で相星決戦。この時すでに大鵬は優勝11回、強い大鵬の全盛時代です。

一方の柏戸はこのころ怪我が多く4場所休場のうえの、この場所でした。ところが相撲通の誰もが大鵬優勢とみたこの取り組み、柏戸の執念の突進で寄り切り、初の、柏戸全勝優勝を成し遂げたのでした。

 

ところがそれに対して若くてて元気のいい新進気鋭の作家、石原慎太郎が「あれは八百長だ、病み上がりの柏戸の突進に大鵬が負けるはずがない!!」と新聞紙上で叩くのでした。おかげで二人は相撲協会に呼ばれるんですが身に覚えのないこと。いかんともしがたい・・・・・丁度この頃テレビに二人揃って出る番組があり・・・・・収録が終わり帰るときにテレビ局の手違いからタクシーが1台しか来ず、幸か不幸か二人一緒の車に乗ることになる。

そのときの模様を大鵬が自序伝の中で「けがを克服して優勝したのに八百長と言われていろいろつらかったろうね」といったら「うん」といってボロボロ泣いた。それをみた大鵬は、いい・・・やつだなあ・・・としみじみ思い、それまでライバルという意識が強く口もきいたことがなかった二人の関係が一変 肝胆相照らす中となる。

 

さいわい石原氏もその後「素人がつまらんことを言って大変申し訳ありませんでした」あやまりをいれてきてこの件落着。まさに「両雄並び立つ」といういい状態になったのでした。