「ジャイアンは普段は乱暴だけど、映画になると良い奴になる」

は、通説だと思いますが少し疑問に思ったので考察しようと思います。

 
 
私の中でパッと思い付く、良い奴=ジャイアンが漢気を見せた箇所は、
 
 ・のび太の恐竜
アメリカ→日本まで徒歩での移動を迫られた時の
「俺は歩く、のび太と一緒にな」の所
 
 ・のび太の大魔境
ゲストキャラのペコが単身敵陣に乗り込もうとした時の
「あんただけじゃどうにもなんないだろ」ってついてく所
 
 
です。
確かに、男らしい!良い奴!と賞賛の嵐な場面なのですが、
若干引っかかる部分があるのです。
 
まず、恐竜の方はその前の場面で、
タケコプターが頭から外れて落下するジャイアンを、
のび太がすんでの所でキャッチしたものの、
タケコプターが2人分の体重を支えられずもろとも落ちそうになる。
けどのび太は最後までジャイアンの手を離さなかった。
という前提があり「のび太も俺の手を離さなかったもんな」と、
ジャイアン自らも(照れ隠しかもしれませんが)吐露してます。
裏を返せば、昼にそのイベントがなければ
「俺は歩く、のび太と一緒にな」発言は無かったのではないか?という疑問が残ります。
大体、タケコプターイベントのほんの5分前位には、
のび太のタケコプターの調子が悪いせいで思うように旅路を進められず、
「のび太がいつもブレーキになるんだ」と
忌々しそうにスネ夫と言っている場面もあります。
つまり「のび太のお手てぎゅー」イベントが無い状態では
「俺は歩く、のび太と一緒にな」が発生しなかった可能性がある為、
「映画のジャイアン良い奴」とは諸手を上げて賛成できぬのです。
 
また、大魔境の方は前提として
『便利なひみつ道具はジャイアンのせいで全部無い』状態にあります。
で彼は、冒険の過程はずっと責任を感じており無口で暗くなってて、
最後の最後で責任を取るような形でペコについていく(=死にに行くようなもの)訳ですが、
ひみつ道具が無いのがジャイアンの責任じゃなかったとしたらどうでしょう?
ドラえもんにゴリッゴリに文句言うでしょうし、
やけに男らしく独りペコについていくような真似はしなかった、と私は思います。
「なんかいい道具、ないのかよォ~(脳内再生余裕)」とか言ってたのでは?
 
さらに宇宙開拓史では、空き地使えない問題をのび太1人に押し付け、
代わりの空き地(コーヤコーヤ星)を見つけたのに、
ちょっとガルタイト鉱業に脅された位でビビって散々のび太に文句言うし、
空き地が再び使えるようになってものび太誘わないし、
「・・・映画では良い奴?」感あります(笑)
 
海底鬼岩城は「とうとうドラえもんを出し抜いたぞー」と
勝手に宝探しに行き、勝手に死に(海底人のおかげで助かったけど)、
精神鑑定では牢に隔離されるほどの凶暴性が認められ・・・。
確かにエルがバトルフィッシュに襲われた時は、
いの一番に駆け付けて助けようとしてましたけどねェ。
熱線を出す奴相手に「俺が相手だ!」と素手で挑む。
勇気と無謀は違うんだよ、武くん。と誰か言ってあげて(笑)
 
魔界大冒険は・・・影薄かったな。
とりあえずサルを追い掛けて捕まえようとしたり、
ホウキに乗れないのび太をバカにしたり、と通常運転ですね。
 
宇宙小戦争もなぁ・・・プラモを壊されたと勘違いして、
確認もせずいきなり玄関口でのび太を殴り倒したりしてましたよ。確か。

 

 

―――と、まぁ大長編の一部ではありますが、

私の中で「ジャイアンは映画になるとカッコイイ」なイメージなくて、

どっちかと言うとそれはのび太に当てはまります。

銀河超特急でもスネ夫にメタい感じで言われてましたしね(笑)

 

結局、ジャイアンは通常回でも映画でも良い奴では無いよ。

映画は、長くカメラが回ってる(笑)から、

結果として「乱暴な面だけでなく、人間として多少まともな部分もあるよ」

というフォロー的な側面だけで、「良い奴」とはとても言えないと思います。

これは、例の「不良が年寄りの荷物持ってあげてる!」という、

ギャップ理論に目が眩んでるだけですね結論。

image