とけいのじかん5
自分の背中
人間は案外自分のことを自分でよく分っていない。
自分自身の姿を第三者として見ることはできないからだ。
もちろん鏡や写真に写った姿ではなく、一人の人間の生き様としての意味である。
先日、コメントで「向田邦子さんとかお好きなのでしょうか?」と問われて本当に驚いてしまった。
確かに私は向田邦子作品が好きで観ていた。
我が家の本棚にもエッセイが何冊かある。
しかしそれは私の親が向田ファンでよくテレビドラマを観ていたから、その影響で観ていただけで、私自身が特別ファンだった訳ではない。
エッセイも親が買い集めたもので私自身はほとんど読んだことがない。
記憶に残っている作品も年に一回くらい放送される特別ドラマシリーズくらいである。
その作品についても漠然といくつかのシーンを覚えている程度で作品名とストーリーが結びつかない。
とにかく、黒柳徹子さんのナレーションと古き良き昭和の家庭の様々な日常生活の様子が印象的だった。
出演していた女優さんは清水美沙さんや田畑智子さんが印象深かった。
小林薫さんも常連だったと思う。
演出家は深町幸男さんの名前を憶えている。
このブログで向田邦子さんについては一度も話題にしたことはないし、もう自分自身が向田作品を忘れかけていたくらいだ。
それにもかかわらず向田作品の影響を指摘されたのである。
一体どこに、その影響が表れていたのだろうか?
自分ではさっぱり分からない。
そこで一冊、本棚から取り出して読んでみることにした。
「女の人差し指」という作品である。
う~ん、似ているだろうか?
改めて読んでみても、やっぱり自分では分からない。
寧ろ文章については「赤瀬川原平のライカもいいけど時計がほしい」の影響を強く受けている。
それだけでなく、このブログでは何度も抜き書きをして紹介してきた。
無断借用だから本当はマズいのだけど、営利を目的としない個人のブログだから、まあ許されるのではないかと勝手に判断している。
とにかく、赤瀬川原平さんの影響については指摘されるまでもないだろう。
それからイラストの画風は宮崎駿さんの影響がモロに出ているだろう。
小学生のころに観た「風の谷のナウシカ」に痛く感銘を受けて模写しまくったからだ。
私の青春は宮崎駿さんの影響を乗り越えるために、もがき続けた悪戦苦闘の日々だったと言っても過言ではないくらいだ。
まあ、このブログにも時々「宮崎作品」のパロディイラストを掲載してきたから、こちらもバレバレだと思う。
指摘されても「ハイッ、そうですよ」と答えるまでだ。驚くには値しない。
でも一度も指摘されたことがない。
きっと皆さん言わずもがなだと思ったのだろう。
それとも自分で考える以上に宮崎駿さんの影響を克服できていたのだろうか?
やはり自分のことが自分で一番よく分かっていないのかもしれない。
ところで幽体離脱とかなんとか不思議な方法で第三者になって自分という人間を見たらどう思うだろうか。
これは、ちょっと興味深いテーマである。
でも、やっぱり止めておこう。
自分の背中は自分で見ないほうがいい。
何故かというと多くの人が自己陶酔して手前勝手にこしらえた自分像を本当の自分の姿だと思い込んで生きているからだ。
もちろん私も例外ではないし、多かれ少なかれそうした陶酔倒錯した世界に生きていると思う。
何度か、そんな相手の本当の姿をうっかり指摘して怒らせた経験がある。
情け容赦なく本当の自分自身の姿を見せられたら、たいていの人は怒り狂うか発狂するのではないか。
若しくはイジけて立ち直れなくなるだろう。
苦笑いしながら「ハハハ…、まあ、こんなところでしょうね」と認められるようなら、どうしてなかなかの賢人だと思う。
それくらい己を知るというのは難しい。
「汝(なんじ)自身を知れ」という格言が古代から伝えられているくらいである。
(((uдu*)ゥンゥン
「ところで今何時?」
「汝時針で知るのじゃぁ…」
一応時計のブログですからw
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ


