絵の話
その昔、友人に「君の絵は古い」と言われたことがある。
なるほど、私は当時から古典的な作風が好みだったから彼の評価も妥当だったろうか。
あれから30年が過ぎた。
今では古典を通り越して過去の遺物になっているだろう。
「生きた化石とはオレのことさ!」と威張って笑いの一つも誘おうかしらん。
とにかく、作風が古いせいなのか才能が不足しているからなのかは分からないが、今も昔も私の絵はさっぱり売れる見込みがない。
今はもう売り込みをする気すらなくなった。
暮らしのために気に入らない絵を描くくらいなら、力仕事で汗を流しているほうがずっとましだ。
多分そういう偏屈の度が過ぎるから、人生万事いらぬ障壁に当たってしまうのだろう。
分かっているつもりだが、これも持って生まれた性分だから仕方ない。
幸い身体は丈夫なほうで、寧ろ文章を書いたり絵を描いたりするよりも力仕事のほうが向いているくらいだ。
人生とは皮肉なものである。
どんなに努力しても、なりたい職業につけるとは全く限らない。
でも最近は、やっと絵を描く楽しさを取り戻しつつある。
子供のころは、とにかく絵を描くのが楽しかった。
さすがに寝食を忘れるというほどのことはなかったけれど、ひまさえあればノートの端にも必ず落書きをしていたくらいだ。
それがいつの間にか絵を描くのが苦痛になってしまっていた。
難行苦行のごとく描き続けたものである。
そのうち心も身体も悲鳴をあげるようになり、ついに筆を折ることになる。
理由は他人の評価ばかり気にして自分自身を見失っていたからだろう。
最近、社会的に孤立し精神的・経済的に追い込まれた人が他人を道連れにする事件が相次いでいるが、自分も一つ間違えばそんな犯罪者になっていたかもしれない。
いや、自分で言うのもなんだが、あれだけの抑うつ状態に追い込まれながら、よく自殺しなかったものだと今になってつくづく思う。
我ながら実にしぶとい人間である。
何ともマヌケでつまらない失敗談だが、同じような苦しみを経験した人は案外多いのではないか。
結局、過ぎてしまえば人生なんて自分らしく楽しく生きたやつの勝ちである。
社会的な成功は必ずしも本人の幸福まで保証してくれるわけではない。
「それでも、まったく売れないよりは売れて収入があるほうがいいんじゃない?」という意見もあるだろう。
私も若いころはそう思っていたが、望まぬ仕事で売れ続けるのも案外大変らしい。
その結果、パニック障害とか鬱病に悩まされる芸能人を何人も見ている。
もちろん私は芸能人に知り合いはいないし、そもそも芸能界に疎い人間だからあくまで報道とかテレビ番組で本人が語っているのを聞いたという程度の話でしかない。
とにかく他人の評価なんか気にするよりも、自分自身の声に耳を傾ける努力を地道に続けていくうちに、近頃ようやく子供のころのように絵を描くのが楽しくなってきた。
気が付けば30年の月日が過ぎていた…。
でも、あと30年もあったら、もっと素敵な自分らしい絵が描けるようになるかもしれない。
もっとも、それまで寿命があればの話であるが。
