とけいのじかん5
酸っぱい葡萄と高級腕時計
(すっぱいぶどうとこうきゅううでどけい)
『酸っぱい葡萄』は
有名な童話だから御存じの方のほうが多いだろう。
でも、このブログにも時々若い人が訪れているようなので、
念のために解説しておく。
あらすじ
お腹を空かせた狐は、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。
食べようとして懸命に跳び上がるが、
実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。
何度跳んでも届くことは無く、狐は、怒りと悔しさから
「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と
負け惜しみの言葉を吐き捨てるように残して去っていった。
解説
自分のものにしたくてたまらないにもかかわらず、
努力しても到底かなわない対象である場合、
人はその対象を「価値の無いもの」「自分にふさわしくないもの」と見なそうとし、
それをあきらめの理由として納得し、心の平安を得ようとするものである。
※
『ウィキペディア(Wikipedia)』より
私にとって高級腕時計は「酸っぱい葡萄」そのものである。
何せ100万円以上する。やっぱり高嶺(たかね)の花だ。
だから、まずは値段への落胆からはじまった。
“はじめは高い値段をものともせず、
むしろ高いことが価値の保証のようにも感じられて、
いまに見てろ、ムリをしてでも買ってみせるぞ、
と自分をふるい立たせていたものだが、
あまり高い値段に面と向かうと、
本当にこれだけの金をはたいて買う物なのかどうかと、
反省の気持ちがあらわれてきて、欲しいという気持ちは消えないものの、
欲望はそのまま冷凍保存されて、
冷凍庫の一番奥に入れておくことができるようになってくる。”
つまり酸っぱい葡萄そのものではあるのだが、
冷凍保存して傍(はた)からじ~っとながめ続けているうちに、
時計界の高価高級を競う狂騒曲の正体がだんだん見えてきて、
心底バカバカしくなってきた。
しかも、次々にリリースされる高級腕時計の数々は、
無駄に大型化してトータルバランスの悪いものばかりだったから
今度は時計メーカーの無策ぶりに対する落胆から
気持ちが離れていくことになった。
何度も書いているけれど、時計なんて時間を知るための道具なんだから、
パッと見てパッと時刻が分かればいいのである。
むやみやたらと資産価値を高めればいいってものじゃないだろう。
「時計なんだから。ただの宝飾品じゃないでしょ」と言いたくなる。
しかし、ただ、時間が分かるだけというのでは、どうにも面白くない。
時刻を知りたいだけなら、ケイタイその他の時刻表示機能で十分だ。
だが、なんとも味気ない。
やっぱり格好いいデザインだったり、
素敵な色合いでキレイに磨かれているもののほうがいい。
それに加えて手触りの良さとか、ほど良い重さとかいう感覚も大切だろう。
ありふれた日常が華やかで豊かになる感じがするからだ。
だからみんな時計にロマンを求めるのではないですか?
そのあたりの素朴な高級時計への憧憬といった感情を
肝心の時計メーカーの連中が
すっぽり忘れてしまっているように思えて仕方がない。
まあ、単純に昔は良かったというつもりはないけれど、
不肖ながらヘンクツ時計マニアを自任する
私のささやかなコレクションの中に、
ありし日の高級機の姿を今に伝えてくれる
往年の自動巻き腕時計が一つある。

この56グランドセイコー
パッと見は地味なオッサン時計かもしれない。
でもいつかも記事にしたが腕時計というものは、
コンマ何ミリの世界でしのぎを削る繊細な世界なのである。
その、わずかな違いが質感や完成度の差となって表れるのだ。
百聞は一見に如かず、贅言(ぜいげん)を要する必要はない。
実物を見る機会があれば是非ご覧になって下され。
一目瞭然だろう。
むしろGSを世に送り出した人々の
「5とは違うのだよ!5とはぁ!!」
という心の叫びが聞こえてくるのではないか。

これぞ正しく高級な腕時計だ。
こんな腕時計なら高いお金を払っても手に入れる価値がある。
ちなみに私は、この56グランドセイコーを
某オクにてOH済みで5万円くらいで落札した。
バーゲンセールなんてもんじゃない。
世間知らずの負け惜しみと言われるのは覚悟の上だが、
今時の高級腕時計を無理して買うくらいなら、
往年の名機を手に入れて大切に使い続けるほうが、
よほど値があると思うのは一人私だけではあるまい。
(((uдu*)ゥンゥン
↑ひょっとしてボッチだったりすて…