とけいのじかん4
晴れの日
気持ちの良い五月晴れ…と言いたいところだが、
厳密に言えば誤用らしい。
北海道には梅雨がないから尚更だろうか。
とにかく晴天に恵まれたことは確かだ。
今日は所用があって出掛けたので、
ついでに近郊の公園へ散歩によってみた。

この公園は湧水が豊富で大きな沼になっている。
何千年も昔から人が暮らしていたらしく、
今でも少し探せば、こうして土器や黒曜石の破片を見つけることができる。

写真を撮っていたらニジマスが足元まで寄ってきた。
観光客がエサを与えるからだろうか。
ずいぶん人馴れしている。

での、この沼の周辺は、ちょっと不思議な空気が漂っていて、
今日のように晴れた天気の良い日はいいが、
曇りの日や夜になると、ちょっと気味が悪いところだ。

実際に、このあたりの村落には、いわゆる“神がかり”の人がいたらしい。
私が子供の頃は「けっこう当たるゾ」と有名だった。
シャーマン(巫師・祈祷師)を生み出す土地柄なのかもしれない。
古代の遺跡を訪ねると、そんな一種独特な雰囲気を持つ場所が多い。
あまり感受性の強い人は、みだりに訪れないほうが無難だろう。
ふつうの人でも体調が悪いときなどは、
避けたほうがいいのではないかと思っている。
そういう精霊の力のようなものが強い土地などがたまにあるのだ。
私は、さしたる霊感もないが本能的に警戒心が働くことがある。
昔の人は、そういう目に見えない不可思議な力に敏感で敬意を払っていたから、
霊力の強い土地の巨木や巨石に、
しめ縄などを祭ったりして敬遠する智慧があった。
この点、現代人はひどく無神経になってしまっている。
確かにブルドーザー等の重機で木々を薙ぎ払い大地を掘り崩しても、
それと分かるようなタタリは滅多にないものだ。
しかし忘れたころに災厄はやってくるもので、
最近、増えている奇妙で残忍な殺人事件なんかは、
見る人が見たら、そういう悪霊的な力の影響を
受けているのが分かるかもしれない。
本来、人間は自然に対して、もっと謙虚でなくてはならないのではないか、
しかもそれは自然を保護するのではなく、
本当は人間を護るための智慧なのだと私は常々考えている…。
それはともかく、
こんな極小の矢じりを見つけた。

昔から器用な人がいたようだ。
一体どうやって、こんな小さな矢じりを作ったのだろう。
最近、日に日に老眼が進むので、なおのこと感心する。

最近は男も80年くらい生きられる世の中になった。
でも、つい最近まで“人生50年”だったらしい。
この石器を作った人達が生きていたころは、人生何年くらいだったのだろう。
きっと50年でも長生きだったのではないだろうか。
今では老眼鏡や補聴器など身体の老化を補う道具が発達しているから、
生活に困ることはないけれど、昔は大変だったんだろうなぁ。
まあ、いろいろ問題もあるけれど、
私は今という時代の日本国に生まれて良かったと思っている。
遅ればせながら、
そんな妄想オヤジの今日の腕時計は、
シチズン・国鉄ホーマー

オールド国産腕時計が好きな人の間では有名なモデル。
鉄道マニアでなくても、このシンプルで実用第一な潔さに、
心惹かれるのではないだろうか。
そんなこんなで無事に帰宅したら、
シマ子が迎えてくれた。
猫は窓辺が好きである。

モルは得意のポーズでお休み中。
我が家の猫親分である。

こんなニャンコの顔を見ていると、
考え過ぎてもしょうがないなと、つくづく思う。
なるようになるだろう。
