年齢を公開している中では最年長、アイドルずの東山彩です。
たぶんフォティプロでは3番目に年長かな?4番?
特技・趣味は化けることグリーンハーツ
音譜私は~オバサンになったわ~若い子には化けるわニヒヒ音譜
ってのが数年前からのネタです。

 

色々なところで講師業をやっているのですが

年齢明かした時に、受講生さんから「え~~~~うそ~~~びっくり

って言ってもらえるのが快感になっていますニヤニヤ

ラブライブの凜ちゃんコスプレ

息子の影響から私もラブライバー、「きつい」って息子から拒否されます

まぁ、母親がこんなんじゃ成人済みの子供もいやがるでしょう

 

もともと20代後半で演歌アイドル(演ドルって言葉が生まれた1年前にデビュー)やっていて、その時は事務所からあれこれ言われて、本当の自分が出せていなかったのです。
「手指広げるな」

「一発歌いますとか言うな」

「ぬくぬくと育ってて失恋の曲歌えない」

おとなしそうなルックスからの唸りド演歌が会社の宴会でうけた

 

そのころからホントにやりたかったのは、お笑いとアイドルだったんですね。

当時はアイドルは身長が高くないと、顔が小さくないと・・・てな具合で、周りのみんなにアイドルになりたい、って言うと、陰口をたたかれてた時代。
「唸り節」が得意で演歌歌って歌手にはなれたけど、当時はまだ日本の心がわからず、これは違う!と、もやもやしながらの活動でした。

歌えるだけで幸せなのに、今思うと何と贅沢な・・・

歌手は、結局結婚と出産でいったん辞めてしまいました。
でも、子役をやっていた子供のステージママをやっていると、私ならこうやってうまくできるのに、っていう子供に対しての嫉妬が出てきて、よし!やりたかったお笑いを目指すぞ!いじわるばあさんキャラなら得意だし!って思い50歳でエンタメの養成所に。
歌手としての再デビューは、追っかけをしていたイナズマイレブンの主題歌を担当をしていたT-Pistonz+KMCの休止に伴い、憧れのメンバーに曲を作ってもらった時、KMCさんから「ちゃんと出そうよ」と言われ、かつてのレコード会社を頼って自費でデビュー。

20代の時の歌手時代には、大御所先生もついていて、そこそこ営業の仕事もあり、CD(カセットテープだー)も箱買いしてくれるファンの人もいたり、バブルだったりで歌手だけで生活やっていけていました。
で、再デビューしても同じように仕事あるわ、って思っていたのが大きな間違いでした。
当時の景気との違いも原因ではあるけど、大きな差は「年齢」だったのです。
 

エイジハラスメントと言うと被害者みたいに聞こえてしまいますが、年齢は悲しいかな自分でどうすることもできないこと。
だからこその、フォティプロの趣旨「非常識を常識に!!」に共感し、その一助になればと参加したのでした!
ただ、私は輝きを失いつつ、いつまでも輝こう!というのとは違うので、妖怪キャラに徹していきたいです。
そういえば再デビュー後は出した曲が全作妖怪。

キツネ&ハチの妖怪「大日本物の怪音頭」より
そして雪女「心雪達磨」より


妖怪キャラを極めるのにお笑いの相方を探していたら、ちょうどおもしろいキャラの「ふゎりぃちゃん」に出会いました。

私の妖怪を際立たせるのに最適、それもあえてのお笑い系だし、ということでアイドルず結成。
ふゎりぃちゃんには妖精担当になってもらい、キャッチコピーは「妖しい大人アイドル」。

 

ただ、あとで気づいたら、ふゎりぃちゃんのお笑い要素は地でやっていたようで、それがデフォルトだったようです。そして私がネタでふざけているとよく怒られます。

 

ふゎりぃちゃんが最近お笑いを一緒にやってくれなくてさみしいけど、グラビアアイドルデビュー目指して頑張っているので応援したいです。
 

!9/19はデビュー31周年だぁ!!