昔は「わからない」ことが

とても恥ずかしかった。



だから、わからなくてもわかってるふりをしていた。



大丈夫なふり。

理解をしてるふり。

わかったような顔。




本当はわからなかったのに。








心屋認定カウンセラー
せいらです。




せいらについて

*出没予定*

❤︎2020年4月4日ぢんさんライブin名古屋
❤︎2020年4月11・12 コバマスアシスタント
❤︎2020年4月29日京都beトレ








「わからない」


その一言が言えなくて、わからない自分はダメなやつだと思った。






プライドは高いし恥はかきたくないし、

期待にも応えたい(対してされていないのに




そんなわたしが「わからない」と言えるようになったのは、

本当に最近のことで。



今でもわからないって言うの苦手やなぁ、、、




よそ見。。







心のことを学び始めた時なんて
「わからない」の連続だった。





その人が言ってることもわからなければ



自分が何を考えていて

どういう人間なのかを聞かれても

わからなかった。






でも、その経験をして、わかったことがある。





「わからない」も
ひとつの答えだということ。






そうか、わたしはわからないんだ、
と知ること。





わからない、を自分で受け入れることで


ひとつ、わからないということが、わかる(ややこしい







「わからない」



そう口に出してみるだけで

いろんな感情が生まれる




カッコつけたい自分や

恥をかきたくない自分。


本当はわかってほしかった自分や

わからないままでいたかった自分。



自分のダサさや未熟さを否定して

綺麗なままでいたかった、いちばん醜い自分。





「わからない」から生まれた感情に向き合うたび、

「なんとなくわかる」になってくる。



わからない、にはたくさんの「わたしの素」が詰まってる。


わからないことを、誇れたらいいね。



そして、わからないふりも、しなくていいね。




ドヤァ