先々週、アディスアベバに向かう機内で、隣の席の人(若い黒人男性)はピカチュウのぬいぐるみをリュックから下げ、前の席の人(若い黒人女性)は、ハローキティのピローを首に巻いていました。

過去にも多くの国でハローキティのグッズを持つ人を目にしましたが、yoshikittyを見かけたことは1度もありません。

 

2018年にyoshikittyが3位を獲得した際、YOSHIKI PR事務局は、

大人気のハローキティを抑え

と自慢しましたが、票の大半は、X JAPANファンがアルバムに釣られて投票しただけで、yoshikitty自体の人気などではなかったということは、私の体験からでも十分に窺えます。

 

 

  危機を救った正露丸

 

アディスアベバで小さい飛行機に乗り換え、マダガスカルの首都アンタナナリヴォに飛びました。

100か国訪問達成記念の国はインパクトのある国にしようと、数年前には決めていて、事前にとてもハードな旅行だと理解はしていましたが、予想を遥かに超えた過酷さでした。

高所の崖登り・危険な悪路走行・不快なホテル・不快な物乞いetc.を上回った苦痛は青空トイレ(屋外排泄)です。

11日間(全日程は15日間)もの間移動中のトイレは全てその辺のブッシュの陰でした。

 

そんな状態での旅行中にお腹を壊せば、どんなに悲惨な事態になってしまうか、皆さんもお分かりですよね?

 

去年、中央アジア4か国旅行の時は、旅の後半にお腹を壊し、なんと帰国後も何日も下痢が続くというしつこい症状でした。

この酷い体験を経験していたので、マダガスカル旅行中は、以下の4つを守るように気を付けていました。

 

❶ペットボトルの水以外は氷も飲まず、シャワーや歯磨きの際は水を飲みこまない

(ツアーガイドから、インドを旅行した際に若い女性がシャワーの水が口に入ってしまい、入院するほどの酷い状態になったと聞きました)

❷食事の際は毎回、除菌シートでフォーク・ナイフ・スプーン・皿・コップを拭く

❸油っこい料理は殆ど食べない

❹大量に持参した非常食用のおかゆ・おにぎり&サプリで栄養・カロリーを補足

 

ここまで気を付けていたのに、夫は7日目、私は9日目にお腹を下してしまい、中央アジアの時を思い出し、真っ青になりました。ゲッソリ滝汗

 

しかし!

 

正露丸クイックCを1日3回飲み、

②朝は絶食、昼は消化の良さそうなものを少量かバナナ

③水分は発汗分を補う程度にちびちび飲む

 

こうした対処で夫も私も1日で治ったのです!

思わず私は感謝の祈りを捧げました。

 

大幸薬品様、お救い下さり有難うございます!照れ

 

 

コラム:正露丸の由来と商標争い

正露丸の主成分は、木クレオソートもくクレオソート: wood-tar creosote)です。

木クレオソートは主にブナの木炭作り等で乾留させる際に水蒸気と共に留出する油層(木タール。水を主成分とする上澄み液は木酢液)を蒸留して得られる、淡黄色透明で燻製のような臭いのある油状の液体。

成分の異なる石炭由来のクレオソート油と区別する為に木を付けます。

木クレオソートは1830年にドイツ人化学者がブナの木から蒸留し精製したことに起源し、当初は化膿傷の治療に用いられ、後に防腐剤として食肉の保存などに使用され、更に殺菌効果として胃腸薬になりました。

1839年、長崎の薬種問屋はオランダから「ケレヲソート」を輸入していました。

1902年、日英同盟を締結し、ロシアとの緊張関係が高まっていたこの年、大阪の薬商「中島佐一薬房」は木クレオソートを主成分とする丸剤に「忠勇征露丸」と名づけ、販売する許可を大阪府より交付されました。

1903年、陸軍軍医学校教官の軍医が、クレオソートを内服した者の便中から培養した大腸菌が腸チフスを抑制する効果を持つことを発見。

1904年に開戦した日露戦争の間、帝国陸軍は、胃腸薬として使用されていた木クレオソートの丸剤に「征露丸」と名づけ、軍人全員に服用を命じました。
1946年、大幸薬品は中島佐一薬房から「忠勇征露丸」の製造・販売権を継承。

1949年、国際信義上、ロシアを「征」するとの字を使うことは好ましくないとの行政指導により「征露丸」は「正露丸」に、「忠勇征露丸」は「中島正露丸」に改名

1954年、大幸薬品は「中島正露丸」を「正露丸」に改名し、商標登録。

1955年、クレオソートの製法を独自開発し、物資不足の第二次大戦中も軍に征露丸の納入を続けた和泉薬品工業などが反発し、特許庁に無効審判を請求、以降、特許庁審決~東京高裁を経て、

1974年、最高裁判決で大幸薬品の「正露丸(セイロガン)」の登録は無効となってしまいました。

しかし、セイロガンの振り仮名のない「正露丸」の商標は現在も大幸薬品が保有しています。

更には2005年、大幸薬品が和泉薬品工業を相手取って、パッケージの類似が不正競争行為に該当すること、及び「正露丸」商標の使用が商標権侵害に該当することで、製造販売差し止めと損害賠償請求の裁判を大阪地方裁判所に起こし、

2008年、最高裁で上告不受理となり、こちらも大幸薬品は敗訴しました。

~以上、Wikipediaより~

 

 

  かぶきにゃんたろうをご贔屓に

 

サンリオキャラクター大賞は一昨日の6月16日に結果発表され、私の応援していたかぶきにゃんたろうは25位、yoshikittyは26位でした。

私がかぶきにゃんたろうを知ったのは数年前、猫好きの猫巻さんが好きなキャラだと教えてくれたからで、私も可愛さに惹かれていました。

 

応援しようと思った理由は、誕生日がTAIJIさんと同じだ!と気づいたことと、やはりにゃんたろうという名前です。

 

この2つが重なったのは、偶然でしょうか?

 

Toshlさんの愛犬にゃんたろうが生まれたのは2016年10月以前、かぶきにゃんたろうのデビューは2017年4月なので、にゃんたろうの名前を拝借したのかも⁉

松竹/サンリオの担当者が、

Toshlファンの可能性はありニコニコ

TAIJIファンの可能性もあり照れ

X JAPANファンの可能性もありますチュー

 

 

 

  かつての‟yoshikitty人気”を演出した14倍ものエネルギーは今、何に形を変えたのか?

※この項目と次項目は『テーマソング・yoshikittyゴリ押し疑惑』(2024.3/26)の続編です

併せてお読みください。

 

yoshikittyが中間発表時(5月9日)の29位から26位に浮上したのは、ジャパン・ハウス(外務省が日本の魅力をPRする為にサンパウロ、ロサンゼルス、ロンドンに設置した対外発信拠点)でyoshikittyが展示されたという話題性が、多少ともYOSHIKIファンのyoshikittyへの投票熱意持続に貢献したからでしょうか。➡YOSHIKI PR事務局2024.5/17

 

しかし、去年の21位からは大きく順位を下げました。

 

毎年平均5位ずつ順位を下げて来て、今年もドンピシャの5つ陥落でした。

冒頭にも過去記事にも書いたように、元々yoshikittyというキャラクター自体の人気は無く、X JAPANファンがバンドに失望して離れて以降は、殆どYOSHIKIファンが頑張ってきた結果と言っていいと思います。

そのYOSHIKIファンも、X JAPANの活動が無くなり、その後発表されたYOSHIKIさんの曲の魅力の無さから、ファンとしての熱意を失った人も少なくないと推測します。➡YOSHIKIファンのヨッシーさんのブログ

 

yoshikittyのフォロワー数が他に比較して異常に少ないことは、yoshikitty自体の人気の無さを証明していると言えます。

2009年にデビューしたyoshikittyの公式Xのフォロワーは2.4万人ですが__

 

3位になったことのあるキャラクターのフォロワー数

(3位になった年度)

シナモロール(2015年)95.3万人

マイメロディ (2016年2017年) 68.2万人

ポムポムプリン(2019年)80.7万人

ポチャッコ(2021年2020年)28.7万人※はぴだんぶい6人で

クロミ (2022年2023年2024年) 23.1万人

 

yoshikittyよりもデビューが遅いキャラも、フォロワーは遥かに多い

2010年デビューのウィッシュミーメルは15.2万人 (大賞11位~20位)

2013年デビューのKIRIMIちゃんは45.7万人 (8位~17位)

2017年デビューのかぶきにゃんたろうは4.5万人 (25位~42位)

 

 

sakuraさんが、yoshikittyの得票割合を計算してくれました。

2018年の得票率と今回2024年の得票率は、同じキャラクターとは思えないほどの落差があります。

 

9.62%→0.68%です。

往時の14分の1以下の得票にまで落ちぶれたと言えます。

 

ここまでの栄枯盛衰は、他のキャラクターでは例が無いのでは?と思いますが、

2018年の得票数こそが異常だったのでしょう。

2万人程度のフォロワーしかいないyoshikittyに、480万票もの投票があったのです。

 

「1位になったらX JAPANのアルバムを出す」

 

この公約を信じ、健気に、懸命に、yoshikittyに投票したX JAPANファンの想い。

その想いは裏切られました。

 

裏切られたこの想いは今、どんな思いに形を変えたのか?

YOSHIKIさんは想像したことはあるでしょうか?

 

アルバムはとっくに完成しリリースの決断をYOSHIKIさんがするだけの状態でした

その2018年から6年以上の月日が過ぎ、今更もうアルバムを出せないだろうと、X JAPANファンは悲しく口惜しい思いを抱き、恨みの感情を心の底に重く抱き続けています。

 

Toshlさんが長い年月、つらい思いをしながら懸命に歌った曲を、私達は聴けずに死んでいくのでしょうか。

 

HEATHさんに聴かせてあげたかった。

ファンの喜びを伝えたかった。

HEATHさんの奏でた音は、このまま葬られるのでしょうか...

 

 

 

  総合順位自慢→海外順位自慢→過去の栄光自慢

 

YOSHIKI PR事務局記事の年ごとの変遷を辿ると、微笑ましいほど思惑が赤裸々です。

「X JAPAN」という言葉は2019年から消え、

逆に、年を追うごとに「世界のYOSHIKI」PRが大袈裟になっていきます。

➡『JOCHUM落選のミステリー / Ladies Xレコーディングから2年

 

成績についても、自慢できるところを必死に強調しています。

 

2020年までは、2016年からの5年連続TOP10入りを誇らしげにアピールするとともに、海外での好成績も自慢していました。

 

2021年は、まずは幾つかの外国での1位を強調して自慢し、総合11位は最後に控えめに報告しました。

➡海外での投票総数は、日本国内での投票総数に比べて格段に少ない数字です(アーカイブ『すみれ組幻想⑤~中傷/美談/烈子/絶望』2021.6/13)

 

しかし、総合17位に陥落した2022年と総合21位に陥落した2023年は、投票開始日や中間発表時に往時の成績を自慢したものの、結果発表時のプレスリリースはありませんでした。

 

X JAPANファンを焚きつけるような発言は、2022年の、

「もう、1位になったらさぁ、アルバムでも何でも出すよ。

なったらね~、なったらね~、1位になったらよ!」

という発言を最後にX JAPANを語ることも無くなりました。

 

今年2024年もYOSHIKI PR事務局は、2022年・2023年と同様に結果発表時に記事は出しませんでした。

投票開始日に過去の栄光を自慢したのみ

 

X JAPANのバンド活動を停止しながらも、過去の栄光をことあるごとにPRするのと同様に。