またしても台風接近。
釣りは行けないなぁ。
嫁ちゃんが、職場の人にナスを貰ってきた。
最近観た映画!
↓これね。
昔観て、めちゃくちゃ感動した。
あれから、Audibleで宇宙関連の書籍を聴きまくった。
宇宙物理の知識を得て、再び観ると。。。
ヤバいね。
時間と空間についての理解が深まり。
さらに重力やブラックホールがわかる!
時間の遅れや事象の地平線。
ストーリーも秀逸!
地球はもう終わりかけてるんだよね。
風は乾き、作物は枯れ、砂嵐が日常になっている。
人類の誇った文明は、静かに、音もなく、朽ちようとしている。
クーパー(元NASAのテストパイロット)は、今は農夫。
彼の家には、ふたりの子どもがいる。
息子のトム、そして聡明な娘マーフ。
マーフの部屋では、奇妙な現象が起きていた。
棚から本が落ちたり、砂埃がモールス信号のようなパターンを描いたり。
このパターンをマーフは解読してたりする。
「STAY」
マーフはそれを幽霊だと言うけど、クーパーは違うと感じた。
「これは重力だ」と。
この「重力」という言葉。
実はこの映画全体を貫く、たった一つの真理なんだよね。
重力異常が示した座標を追っていくと、クーパーは荒野の地下に隠された旧NASAの施設へ辿り着く。
そこには、かつての恩師・ブランド教授がいた。
そしてブランド教授から明かされる、人類最後の希望。
ラザロ計画。
それは、土星の近くに現れたワームホールを通じて、別の銀河へ人類の居住可能惑星を探すというもの。
ワームホールは自然発生しない。
ワームホールを作ったのは誰か?
「彼ら」と呼ばれる存在。
ブランド教授は言う。「我々を導いている存在がいる」と。
クーパーは、葛藤の末に参加を決意する。
けれども、マーフは泣き叫ぶ。
「行かないで!幽霊が止めてるの!」
「STAY」
クーパーはマーフに腕時計を渡す。
マーフの部屋を出る瞬間、本が一冊落ちる。
土星の軌道上。
そこに浮かぶ宇宙船エンデュランス号。
乗組員は、クーパー、ブランド博士の娘アメリア、ロミリー、ドイル、そして人工知能ロボットのTARSとCASE。
TARSは、まるで人間のように皮肉を言い、冗談を交わす。
ユーモア設定が100%だったらしい。(笑)
「ユーモア設定は75%で頼む」とクーパー。
また、アメリアの正直すぎる発言。
TARSの正直レベルは90%!!
人とのコミュニケーションは90%の正直レベルが良いらしい。
アメリアに、90%で行こうと・・・皮肉。
このロボットたちは、単なるツールじゃない。
論理の化身でありながら、仲間としての心を持つ存在なんだ。
エンデュランス号は、土星の周囲に浮かぶワームホールへと向かう。
実は、三次元空間を四次元的に折り曲げた結果。
なんと、球に見えるんだよ。
ノーベル賞物理学者キップ・ソーンの監修により、あの重力レンズの光の屈折表現は、実際の一般相対性理論を忠実に再現している。
あの映像こそ、科学と映像美の融合だよね。
ワームホールを抜けた先の銀河。
最初の目的地は、ガルガンチュアと呼ばれる巨大ブラックホールの近くにある水の惑星。
だが、その重力は恐るべきほど強かった。
惑星表面では、1時間が地球の7年に相当する。
つまり、わずか数時間のミッションで、地球では何十年も経ってしまう。
彼らは巨大な波に襲われ、ドイルを失い、慌てて離脱する。
しかし船に戻ると、待っていたロミリーは年老いていた。
ロミリーは一人で23年間、ただ待ち続けていた。
その沈黙。
時間の残酷さを突きつける瞬間だ。
「人類は宇宙を旅できても、時間からは逃れられない」
それがノーラン監督が描きたかった真実なんだと思う。
次の目的地はマン博士の惑星。
マン博士は最も有望とされた科学者で、人類の希望を託されていた。
だが、マン博士は恐怖に耐えきれず、虚偽のデータを送っていた。
救助を呼ぶために、惑星の環境を居住可能と偽ったんだ。
「人間は、生きたいと願う生物にすぎない」
マン博士の言葉には冷たさしかなかった。
その愚かさが、地球の滅びを映しているようだった。
逆に、宇宙船エンデュランスの中でのアメリアの言葉。
「愛は、時間や空間を超えて、何かを感じ取るための力かもしれない。
もしかしたら、私たちが理解していない何かを示す証拠なのかもしれない。」
これは単なる感情論じゃなくて、量子重力の哲学的拡張とも言える。
つまり、愛とは時間を超える観測手段なんだよ。
マン博士の暴走で宇宙船エンデュランスは破壊された。
燃料不足でクーパーとアメリアは絶体絶命に陥る。
そして、クーパーは決断する。
ブラックホールの重力を利用して次の星に向かうことを。。。
「運動の第三法則。 前へ進むためには、何かを後ろへ置いていかなければならない。」
クーパーは自分を切り離し、アメリアを救うためにブラックホール(ガルガンチュア)へ落下する。
その瞬間、クーパーは事象の地平線を超えた。
重力が極限まで圧縮され、光は屈折し、時空そのものが折り畳まれる。
そして、気が付くとクーパーはテッセラクト(五次元空間)にいた。
テッセラクトでは、時間が空間のように存在していた。
マーフの部屋の時間軸が無数に並び、クーパーはそのすべてを見渡すことができた。
そして悟る。
マーフの語った幽霊は、自分だったのだと。
「マーフ!これを受け取れ!」
クーパーは腕時計を通じて、モールス信号で量子データを送る。
それが重力の方程式を完成させ、人類を地球から解放する鍵になる。
つまり、未来の人類が過去に干渉し、自らを救ったというパラドックスだ。
時間は直線じゃない。
遍在しているんだと思う。
ただ、この展開を「科学的に正しい」と言うのは難しい。
ブラックホールの内部構造は理論的に未解明で、テッセラクトの描写は物理というより形而上学の詩に近い。
ノーラン監督は「科学の枠内で神話を語った」と言えるんだ。
でも、まぁ、それでいいのかね。
この映画は科学的正確さよりも、人間の精神の拡張を描いている。
ブラックホールは「無」じゃない。
それは「記憶」であり、「愛」であり、「進化した人類の意識」なんだ。
テッセラクトを抜け、クーパーは救出される。
目を覚ますと、そこは土星軌道上のコロニー「クーパー・ステーション」。
年老いたマーフがベッドに横たわっていた。
「パパ、行って。アメリアのところへ。彼女が待ってる。」
クーパーは再び宇宙へ向かう。
アメリアは、新しい星の上で人類の再出発を準備していた。
「インターステラー」は、宇宙を描いた映画じゃないかも。
それは、意識と時間の関係を描いた映画。
重力が時を歪めるなら、愛はその歪みに橋を架ける力。
つまり、量子重力理論に愛という力を加えると?
エモいね。