今日は、釣りに行こうと思ったけど。

。。。雷注意報!!

止めだ止め!

カワハギでも描いてストレス発散だ!

 

ふと、思い立った。

そうだ、クッキーを作ろう!!

材料を仕入れて。

無塩バターとグラニュー糖。

よく混ぜ合わせて、卵黄!

さらに、よく混ぜ合わせて。

薄力粉と竹炭、バニラオイル。
食紅の黒は、止めました!(笑)

想定より黒い!!

完全に混ざったら、ラップで包んで冷蔵庫。
2時間も寝かせちゃった。。。

ベンタブラックみたい。。。

型を取って。
オーブンで焼く!!
レシピには、茶色く焦げ目が・・・。
真っ黒だからわからんわい!!

デコチョコペンのホワイトで白目。
デコチョコペンのブラックで黒目。。。
黒目いらんかった・・・。

完成!!

ジョニーのまっくろくろすけクッキー!!
味は、かなり美味い!!
これは、想定内!!
 
しかし、想定外のことが・・・。
食べると、歯が黒くなる!(笑)
 

 

 

最近読んだ(Audibleで聞いた)本!
↓これね。

 

宇宙カレンダー♪

宇宙の誕生ビッグバンを01月01日00時00分00秒とする。

そして、今現在を12月31日23時59分59秒とする。

宇宙の誕生から現在までを365日で表すカレンダーね。

 

01月01日 ビッグバン(138億年前)

04月11日 天の川銀河の形成

09月01日 太陽と地球の誕生

09月02日 月の誕生

09月17日 海の誕生

09月22日 最初の生命の誕生

11月06日 細胞核をもつ生命誕生

12月18日 魚類の出現

12月21日 最初の森が誕生

12月26日 哺乳類の誕生

12月31日 19時30分 最初の猿人誕生

     21時08分 日本列島の形成

     23時52分 現世人類誕生

     23時59分59秒 科学の時代

・・・人類の科学文明なんて、1秒!(笑)

 

高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所編。

 

かなり難易度が高いけど、面白い。

周期表を再び思い起こすことになるのね。

高校の物理や大学の物理を再説明!(笑)

 

恒星内での元素合成の過程では、鉄より重い元素は恒星の通常の寿命中には作られない!

 

四つの力(基本相互作用)について。

重力・・・重力子(グラビトン)(仮説)

電磁力・・・光子(フォトン)

強い力(強い相互作用)・・・グルーオン 
弱い力(弱い相互作用)・・・W⁺, W⁻, Z⁰ボソン

 

電磁力に対して、「強い力」と「弱い力」ね。

そして、素粒子17種。

 

フェルミ粒子(フェルミオン)は、スピン1/2?

物質を構成する粒子。

スピン1/2とは、なんと1回転では元に戻らない(量子力学的特性)性質のことで、360度ではなく、720度で元の状態なんだと。

例として、メビウスの輪で解説してくれた。

解りやすい!!

パウリの排他的原理に従い、同じ状態に2つ以上のフェルミ粒子は存在できないと。

そして、フェルミ粒子は、クォークとレプトンに分けられる。

クォークは、アップ、ダウン、チャーム、ストレンジ、トップ、ボトムという粒子が6種。

レプトンは、電子、ミュー、タウ、電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、タウニュートリノという粒子が6種。

 

ボース粒子(ボソン)は、スピン整数。

力を伝える粒子で、パウリの排他的原理に従わないため、複数の粒子が同じ状態に「重なれる」性質がある。

例として、レーザーが紹介されてた。

光子、グルーオン、W⁺, W⁻, Z⁰ボソン、重力子の4種。

 

ヒッグス粒子は、スピン0のボソン。

2012年にCERNのLHCで発見された、神の粒子。

ヒッグス場により、他の粒子に「質量」を与える。

 

フェルミ粒子が宇宙の「モノ」を作り、ボース粒子がそれらの「関係」や「変化」を司るわけね。

 

ちなみに、CERNのLHCとは、欧州原子核研究機構(CERN)のLHC(大型ハドロン衝突型加速器)で、地下約100mにある全周約27kmの円形トンネル施設だよ。

光の速度に近い速さまで陽子を加速し、正面衝突させると、宇宙誕生直後のような高エネルギー状態が再現され、そこから現れる粒子(壊れる・現れる)を精密に観測することで、宇宙の起源や物質の構造を探ってる。

 

ヒッグス場により、他の粒子に「質量」を与える説明は難解!

また、最先端の素粒子物理学でも不明な点が多い。

 

素粒子の大きさや、内部構造も点のような存在としてモデル化されてるだけだし。何より、「観測されるまでは粒子の状態は確定していない」コペンハーゲン解釈があるからね。
 

宇宙は物質で満たされているが、対になる反物質はほとんどなく、なぜ物質が優勢になったのかはまだはっきりしない非対称性の問題。

 

観測できない質量の正体ダークマターや宇宙膨張の謎ダークエネルギー。

 

そして、統一理論の夢・・・電磁力と弱い力は実は同じ「電弱力」として統一できる(実験で確認済)。

現在、強い力と電弱力を合わせる「大統一理論(GUT)」が目指されている。

しかし、重力までは。。。

 

ん?ちょっと待て、光子は質量0??

それだと光子の時間は止まっているよね?

光子にとっては時間が止まっていて、外の観測者は時間が流れている。

つまり、光子は「時間がない存在」として、「時間がある世界」に存在すると。

う~ん、納得できん。

「観測されるまでは状態や事象が定義されず、観測者の時空で確定する」

ここにも、量子もつれとコペンハーゲン解釈か。。。
 

とにかく、ウォーキングしながら聴く内容ではないかな。(笑)

もっかい聴こう!!

 

「葦の音(あしのおと)」

作:海釣りジョニー

 夕陽が川面を朱に染めはじめたころ、三人の息子と父は、三重県のとある一級河川の川辺にいた。そこは、地図には載っていても、土地の人々がその名を語りたがらない場所だった。

だが、父と三人の息子はそのことを知らなかった。ただ、車で釣り場を探し、偶然見つけた無人の川辺が「釣りに良さそうだ」と思い、立ち寄ったに過ぎない。河川敷に車を停め、ぶらりと降りてみた場所だった。

 長男(九つ)は、赤いルアーを水面に投げ、次男(六つ)も、小さな竿を持って隣で構えていた。三男(わずか三つ)も初めは兄たちと並んで、短い竿を構えていたが、しばらくすると静かにそれを置き、いつの間にか父の足元に来て、じっと座り込んだ。
小さな手で父のズボンの裾を掴み、そして目を伏せたまま、ぽつりと呟いた。
「……おてらの、おとがする……」
父は、一瞬耳をそばだてた。
しかし聞こえてくるのは、風に揺れる葦の葉擦れと、遠くの鳥の声、そして川面をかすかに叩く波の音だけだった。
その言葉に、胸の奥が、きゅうと締めつけられた。息子の声は、確かに何かを感じ取っていた。
「お寺の音」とは、あの、しずしずと続く声の連なり。
生きたものと死したものとの境で、響くように唱えられる、お経。
それが、どこからともなく、三男の耳に届いていたのかもしれない。
「気のせいだよ」と、父は笑ってみせたが、その声はどこか震えていた。
風の中に、言葉にはできぬ重さと、ひたひたと迫る気配のようなものがあったからだ。

草むらの奥から、何かが、こちらをじっと見ている。
葦は風に揺れているが、その揺れの向こうに、ただならぬ静けさが潜んでいた。
三男は、父の手をぎゅっと握った。
その手は熱く、微かに震えていた。
父の背筋には、ざらりと冷たいものが這い上がる。
そして、何かに導かれるように、「帰るぞ」と短く言った。
父は、まず三人の子どもたちを急いで車に乗せた。
「ここから離れるぞ、すぐに」
そう言いながら、子どもたちの様子を確かめ、車のドアを閉めると、再び川辺に戻り、ひとりで釣り具を手早く片付け始めた。
手元は落ち着いているようで、指先は震えていた。
釣り竿、バケツ、荷物を放り込むようにまとめて車に詰め込む。
振り向きたくなかった。
車に乗り込むとき、父は振り向かずに言った。
「絶対に、振り返るな」
その声は、いつもの父ではなかった。
低く、強く、命令のような響きを持っていた。
三人の子どもは、一言も発さず、父の言葉に従った。
エンジンをかけ、車がゆっくりと川辺を離れてゆく。
その瞬間、背後から、何かが這い寄るような気配がした。
音ではなく、空気の変化。
それは、視界の端で黒い影が動くような、名状しがたいものだった。
父は決してルームミラーを見ようとはしなかった。
もし見れば、目にしてはならないものが映る——そんな確信があった。
車が土手を越えたとき、どこかで、鐘の音がひとつ、鳴った。
深く、重く、そして鋭く。
それは、遠く響く鐘の音でありながら、どこか龍の咆哮のようにも聞こえた。
父はその音に、全身がこわばり、金縛りにあったかのような感覚を覚え、無言のまま、車を走らせた。

 ようやく家にたどり着いたとき、父の手は冷たく湿っていた。

玄関に入ると、三人の子どもたちは誰も口を開かなかった。
長男がぽつりと、「怖かったね……」と呟いた。
父は無言のまま頷き、スマートフォンを取り出した。

釣りをしていたときに何枚か撮った、子どもたちの写真を開いた。

一枚、また一枚と指を滑らせ、最後の一枚で、父の指が止まった。
三人の笑顔の後ろに広がる草むら——そこには、何かが写っていたわけではない。

しかし、空間そのものが、どこか異質だった。

草の揺れ方が不自然で、奥行きがまるで歪んでいるように見える。

目を凝らすほどに、ぞわりとした寒気が背を走った。
何も写っていないのに、明らかに“何か”がそこにあった。


 その翌朝、父は新聞を開き、川の上流にて、一人の釣り人が亡くなったという記事を目にした。

それは、自分の職場の上司であり、また釣り仲間でもあった人物だった。
釣り好きで、気さくな人だった。
事故の場所は、自分たちがいた場所の、ほんの少し上流。
すぐに父は地元の図書館に足を運び、川周辺の歴史資料を調べ始めた。

ふと目に留まった古い郷土誌には、あの川の名と流域にまつわる伝承が記されていた。

そこにはこうあった。
川沿いでは幾度も水害が起こり、かつて龍神を祀る祠があった。
人々はその怒りを鎮めるため神事を行い、四年に一度の「鎮魂の儀」を執り行っていた――この風習は今もわずかに語り継がれているという。
だが神社自体はすでに忘れ去られ、社殿は朽ち、石碑は崩れ、今やただの草地と認識されていた。
「自然とは、ただの風景ではない。魂が宿る。その声を聞かぬ者には、やがて罰が下る」
資料のこの言葉が父の胸を刺した。

自然は人がその存在を忘れても、静かに在り続けるのだ。

あの日、私たちは知らずに聖域を踏み、見えざる境界を越えてしまったのかもしれない。

 風が吹くと葦の音が耳に蘇る。あれは単なる草の揺れる音ではなかった。それは囁きであり、警告であり、あるいは忘れ去られた者たちの嘆息だったのだろう。
三男の小さな声が今も脳裏に残る。
「おてらの、おとがする……」
もう、あの場所には近づかない。

 

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