とあるSNSの石膏像のデッサンを見て、

大学時代の工芸の先生のことを

思い出しました。


先生は石膏像ガッタメラータによく

似ていたなあ。

私が大学に行けなくなって、先生とは

話をしなくなって。

「工芸からデザインに専攻を変えたい」

と言ったら、

「サインすればいいんだろう!」

と書類を投げつけられました。


この年齢になったから思うのですが、

私はかなり失礼な学生だったと思います。

もう少し段取りというか、周りから

固めていくとか…今も無理なことは

当時もできるわけがないな!(苦笑)


先生は私が卒業した年だったか、

その辺りでがんでお亡くなりになりました。

まだ60代の初めくらいの年齢だったので

早かったなあ、と思います。

「オレはもう60歳になったから、

やりたいようにやっていく!」

と言っていた矢先の出来事でした。


先生、体調が悪くて私にキツく当たって

しまったのかもしらないし、もう

そんなことはおっ死んじまったので

知るよしもありません。


私が20代の終わりごろに、教育学の

先生が地元で個展をされ、その時に

工芸の先生の住所を伺いました。

工芸の先生の奥さまに、何と手紙を

書いたらいいものか分からず、結局

何もできませんでした。


ケンカ別れみたいな別れ方をして

そのままおっ死んじまったので、今でも

時々思い出して「あー(苦悩)」となります。


私は先生のことは嫌いじゃなかった。

早いうちにちゃんと謝れれば良かった。

「オレはもうおっ死んじまうんだよ!」

が口癖だったけど、そんなすぐに

おっ死んじまうなよ!チクショウ。


何があるか分からないこんな世の中だから、

他人に対して誠実でありたいと思います。

自分にとって大切だと思う人には

特に身内には、優しくありたいです。

18年前の私は29歳。
うつ病の診断を受けたのが2005年3月19日だったので、
それから1年と半年後にこのブログが始まりました。

むしろ細々と18年もこんなブログを続けてきた自分が
すごいと思います。
私の一番上の姪っ子よりも年上ではないですか。

18年も時間が流れると、まぁ本当にいろんなことがあって

思いもかけない人生の流れにびっくりすることばかりです。
 

看板屋やって、ホテルの事務からの日本料理屋からの
客室係やって、グラフィックデザイナーやって、

大学の研究の技術補佐員やりながら結婚式場のお皿運びやって。

ホテルの調理補助やったり、観光地でお土産売ったり。
バナナの試食販売したり、極寒のなかクリーニングの券を

配ったり。

変わったところではポケモンの全国大会の審判やったり、

裁判員裁判制度が始まったすぐの傍聴券を手に入れるために

並んでみたり、イベントでおいしいものをたくさん
売ったりしました。デジカメも売ったなぁ。
児童館の先生は12年やりました。

菓子屋は4年目です。

幼なじみには
「久遠さんの未来はどんな面白いことがあるんだろうと
 楽しみにしてるんやわ。」
と言われました。
そう考えると、いろんなことを経験できて楽しい人生ですね。

 

人間は自分が生まれてくる前に、どんな人生を生きるか、

またどんな死に方をするか決めて生まれてくるそうです。
えらい個性的な人生を選んだもんだなぁ、自分!と

もうひとりの自分に言ってみたり。
決められたレールの上を歩かない(歩けない)のは
このブログのタイトルに表れていますよね。

 

私の父の兄は48歳ではなく、47歳でこの世を去りました。
もともと心臓が弱く、祖父が50歳で亡くなってからは
内職をして兄弟5人を高校まで行かせたという話でした。
伯父さんはおっとりとした穏やかな人だったという
記憶があります。

「アニキは心臓の手術をしたら、元気になったんや。」

「それ、いつの話なん?」

「んー、40年前かな。」

「40年前って、死ぬ直前じゃないの?」

「あー、腸閉塞でなー。あれは医療ミスや。

 医者は認めんかったけどなー。」

ずっと独身だった伯父さんのことを、同じ年になった今

何となく考えるようになりました。

伯父さんが亡くなった時、私はまだ小学生だったから。

大人になった私と、おじいさんになった伯父さんと

話ができたらいいのになあ、なんて。
いつになるか分からないけど、あの世に行ったら
会えるかな?

亡くなった人で話をしたい人がたくさんいます。

暑すぎた夏も、何となく涼しくなってきたような

気がします。
そんな今日はエアコンもつけず、扇風機だけで
過ごせています。

 

アルフィーの新しいCD(今年7月24日発売)がほしくて、

何軒かCDを売っている場所を回ったのですが、

どこにも売っていませんでした。

…というか、円盤買う人が少なくなったせいでしょうね。

売り場がかなり縮小されていました。

私がCDショップの店員だった時(およそ20年前)でも

「CDが売れない」と言っていたので、今はもっと

そうなのでしょう。

YouTubeで見られるし、配信やサブスクあるし、

わざわざ場所を取るCDは買わない…。

MDもなくなっちゃったしねー。
私が死んだ後に残された大量のCD…ねぇ?
どうしましょうね。

生きているうちに片付けるのはちょっとまだ嫌です。

最近はこっちの世界とあっちの世界をふわふわと

漂うように生きています。
引っ張られないように、こっちの世界で

するべきことをしないと!とやっていますが。

暑かったからですかね、引っ張られがちです。


私がいなくなったら、この世界は消えるのかな。

私の見ているこの世界はすべて幻想なのか。

幻想なら、もう少し私に優しい世界で

あってほしいと願う毎日です。


最近さすがに老眼なのか、 字を書くときだけ

書いている字が見えないという状態です。

普段の時は こんなに世界がクリアリーなのに。

シミとかシワとか白髪とか、薄毛とか、

老化を受け入れなきゃなーと思っていたのですが、

見た目だけでなく機能にもガタが来ると

さすがに来るものがありますね。


4年前からなぜか菓子屋で働いておりまして。

インスタで他の菓子屋さんの動画とかを見たり

するのですが、製造の現場もこんなに

機械化が進めば、職人なんかいらないなあ、

という気持ちになっています。

駅店のスタッフさんも以前、

「売り子さんもロボットやったら、休憩も

いらないし、トイレ行かなくていいし、

お客さんもロボットに対しては怒らないから

そっちの方がいいのかもね。」

という話をしてました。

人間のいる意味とは?

人間じゃないといけない理由とは?


…きっと疲れておるのね。

なんだか忙しく過ごしているうちに
4月も終わろうとしています。

4月の月例はあきらめました。
その代わり、昇段試験はがんばりました。
コンサート曲は、連休に練習する予定。
とりあえず落ち着かないと、試験勉強もできない!

弟が退院してきました。
水曜日に急に入院ということになり、
「過労か?」
と思っていたら、もっとひどい話でした。
まぁ、彼はラッキーガイなので、へんな首輪を
つけていますが、今はぴんぴんしています。
症状や経過に関しては人から聞いた話なので
よく分からないのですが、かなり危ない状況

だったみたいです。
急に倒れました、死にました、ということに

ならなくて本当に良かったです。

「ガンダーラに行かなくて良かったねー。」
と言ったら、
「オレが生きたいのはそのガンダーラじゃない。」
「死ぬつもりは全くないけど、死にかけたわ。」

と返ってきました。
その調子で、私よりずっとずっと長生きしてください。

父方の親戚で早死にの人が何人かいて、
父の兄が48歳で亡くなっています。
私ももう伯父の年齢だなぁ。
いつ死んでもおかしくないのかなぁ、なんて
思っていたのですが、まさか弟か!
驚きました。

事故死や病死で若くして亡くなった知り合いが
何人かいます。
「寿命だったんだよ。」
そんな言葉で片付けていましたが、親はともかく、
弟が死んだ時にそう思えるのか?
いろいろなことを考えてしまいました。
 

私たちの父親は、丁度私たちくらいの年齢の時に
ひどいうつ病になりました。
ある日連絡もなく帰って来なかったので、何度も何度も
電話をかけたのですが、次の日ひょっこり帰ってきて
「死のうと思ったけど、死ねんかったんや。」
という言葉で、病院に連れていくことになりました。

脳のMRIを撮ったところ、小さい脳梗塞の跡が
たくさんあり、それが悪さをしているという
話を聞きました。(父は今もぴんぴん生きているので、

彼もある意味ラッキーガイです。)
私がうつ傾向になりがちなのは、気質というか
遺伝というかそういうものなのですが、
それでなくても脳の血管の病気は遺伝が
あるのかもしれない。
気をつけないといけないと思いました。