ここしばらく茫然と生きていたなぁと思う。日常の業務はむしろ滞りなくやっていて、しっかり朝ご飯作って食べたりして、いつもよりきちんと「日常」を過ごしていたのだけど。
なんか茫然としてたせいか贅肉がついた気がする。精神にも、肉体にも。
なんか、気持ち入れ替えなきゃダメだなぁ。
走ったり、泳いだり、精神的にいっぱいいっぱいな仕事したり。
なんか、そういうのが必要だ。
本当は私たちは、限りある人生の時間の中で、ただすれちがっているだけなんだ。家族でも、恋人でも。人生っていう、ほんのひとときを、共有してるだけなんだなぁ。
助けてもらいたいわけじゃない
誰かに一緒にいてもらいたいわけでも わかってもらいたいわけでもない
ただ 街角の人や ふと耳にした言葉に その人の影をおってしまう
後遺症のなおしかたを 教えてもらいたいだけなのだ
しゃべる力と感じる力は別だ、と思う事がよくある。しゃべるのが苦手でも、色々な事をよく感じ取れる人がいる。
良い指導者、というのは、大勢の部下の中の、誰かが何か問題を抱えていると、部下を見渡した時そこに「違和感」を感じて気付くのだという。
しゃべる力と感じる力。送り出す能力と受け取る能力。どちらも大切にしたい。
高田純次が泣いている女の子に言う。「何を泣いているの?このCMで、みんなを幸せにしようよ。
できるわけないか」
そんな事をいいつつ、TVを作る人はどっかでそれができると信じている。そうあってほしいなと思う。
できるわけないか、の言葉の前にある、自分の言葉に対するかすかな照れが好きだ。
くだらないおふざけやただの騒がしいだけの番組、と批判されがちなテレビだけど、こんな思いや志…なんて言うとかっこよすぎるけど、どこかでみんな持ってるんじゃないかなぁ。
音楽は心に降る雨だ。
気付いたらずいぶん、乾いていたんだなぁ。
どんな嘘にも、1%の真実は含まれているものだ。
自分が本気で信じていなきゃ、伝わらないものだから、嘘だと思いつつ、どこかで信じている自分がいる。
本物の嘘つきは、自己矛盾を抱えつつ嘘をつく。
それが嘘をつかれたものの、唯一の救いだ。
確かに好きだった、という記憶が残るほうが、ただだらだら一緒に生きているよりいいかも知れない。
だから、確かに好きだった時のことを、ずっとずっと覚えていよう。
相手が忘れても、その事がどこにも残されていなくても、私の中に、ずっと覚えていよう。
そうすればそのことは、どこにも行かず、なくならない。
確かにそこにあった真実は、決してなくならない。
現在との関連性だとか、現在の関係性とか。
そんなものとは切り離された場所に、大切なそれを飾っておこう。
私はあれから誰とも、恋をしていないと思う。
からっぽであることはいいことかもしれない。何もないぶん、ものごとがしみこんでくる。
何もない豊かさもあるのだなぁ。