12月22日生まれ | いずみ先生のひとりごと

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相模原市中央区東淵野辺(最寄駅;古淵)でピアノと音楽の個人レッスンをしている辻田いずみのピアノや音楽についてのブログです。

≪12月22日生まれの音楽家たち≫


ムーミン楽器です。
随分と前にムーミンだからと
ついつい買ってしまいましたが、
重宝しています。

特にクリスマスソングに
合うため、
リズム練習を兼ねて
レッスンで使用しています。

では本日分をどうぞドキドキ

音譜プッチーニ(ジャコモ・プッチーニ;Giacomo Antnio Domenico Michela Secondo Maria Puccini)
  1858年12月22日~1924年11月29日(享年75歳)
  イタリア;ルッカ
  作曲家。
  オペラ「マノン・レスコー」「トスカ」
  「トゥーラントッド」「蝶々夫人」など

  とにかくプッチーニといったらオペラでしょう。
  上記のオペラの題名も
  耳や目にしたことがある方も多いはず。

  しかし…!とにかく恋愛モノが多いですね。
  当時はTVなんてなかったですから
  きっと月9ドラマに匹敵するものが
  こういったものだったのかも。

  また半分くらいファンタジーと捉えているのか
  舞台がイタリアではなく
  (彼らからすれば)異国というのが
  やはり恋愛モノには欠かせないのでしょう。

  因みに「蝶々夫人」は日本、
  「トゥーラントッド」は中国、
  アメリカが舞台の「西部の娘」という
  オペラもあります。

  もしかしたらプッチーニは
  オペラで世界一周なんて考えていたのかも!?

  順序が逆になりましたが
  彼の生涯の一部を御紹介します。

  彼の一族は宗教音楽家でしたが
  幼い頃に父が亡くなったため
  叔父に教育を施されたようです。

  その一族らしく
  はじめはオルガニストになりましたが
  ヴェルディの「アイーダ」に感銘を受け
  オペラの作曲家を目指すことになります。

  22歳の頃にミラノ音楽院へ。
  そしてその2年後に
  最初のオペラを作曲します。

  35歳の時に第3作目として
  作曲したオペラが
  大成功をおさめた「マノン・レスコー」でした。

  その後は次々と
  オペラを生み出していきます。

  彼はかなりのヘビースモーカーだったようで
  喉頭癌にかかり
  手術はしたものの
  合併症で亡くなっています。
音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字
音譜ロビン(ロビン・ギブ;Robin Gibb)
  1949年12月22日~2012年5月20日(享年62歳)
音譜モーリス(モーリス・ギブ;Mauricen Gibb)
  1949年12月22日~2003年1月12日(享年54歳)
  イギリス;マン島
  ミュージシャン。ビージーズのメンバー

  連名にしたのは彼らが一卵性の双子のため。
  ビージーズは彼らと長兄である
  バリー・ギブの3人で成り立っていました。

  彼らの活動のきっかけは
  幼い頃にちょっと舞台で歌ったこと。

  その後、小遣い稼ぎに度々歌っていたようです。
  その頃からグループ名をつけていたようですが、
  様々に変化しています。

  本格的にデビューしたのは
  オーストラリアの地で。
  1963年のことでした。

  映画「サタデーナイトフィーバー」で
  彼らの曲が使われて名が知られるようになりましたが、
  日本では「小さな恋のメロディ」でも知られています。

  活動中には5つのグラミー賞を獲得し、
  メンバー、グループなどで
  殿堂入りを次々と果たしました。
  しかしモーリスの急逝で
  2003年からは活動を停止していました。

  先にモーリスの方が亡くなりましたが
  残ったロビンも2011年に結腸癌が明らかとなり、
  翌年には転移。
  一時期は元気になったと伝えられましたが、
  同じ年の4月に肺炎を併発。
  5月20日に帰らぬ人となりました。