12月16日生まれ | いずみ先生のひとりごと

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相模原市中央区東淵野辺(最寄駅;古淵)でピアノと音楽の個人レッスンをしている辻田いずみのピアノや音楽についてのブログです。

≪12月16日生まれの音楽家たち≫

先日食べたアーノルドのドーナツ。
クリスマスヴァージョンは
吉祥寺のお店にしかないので
チャンスがあれば、です。

では本日分をどうぞニコニコ

音譜ベートーヴェン(ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン;Ludwig van Beethoven)
  1770年12月16日~1827年3月26日(享年56歳)
  ドイツ;ボン
  作曲家。
  交響曲第1~9番、ピアノソナタ全32曲、ヴァイオリンソナタ全10曲など

  実は彼の実際に生まれた日付ははっきりとしていません。
  教会での洗礼を17日に受けているため、
  おそらく前日だろうということですが、
  実際には何日も経ってから
  洗礼を受けさせる親も多かったとのこと。
  また様々な本などには17日を誕生日にしているようですが、
  それはありえないでしょう。

  ベートーヴェンに関しては
  様々な文献やTVでの紹介などがありますので
  よくご存知かと思います。
  そこで変わったエピソードなどを。

  まず彼は引越し魔でした。
  35年のうちに79回もしているそうです。
  よく言われているのが神経質な性格で、
  歯磨き姿を見られたという理由だけで
  引越しを決意したなどと
  書かれたりしていますが
  どうもそれだけが理由ではなかったようです。

  1番の原因は盗作を恐れて。
  何でもヨーゼフ・ゲオリクなる
  盗作ストーカー男から逃れるためだったといいます。

  その男の目的は
  ベートーヴェンは作曲する際の鼻歌。
  鼻歌を歌いながら仕事に取り組んでいたため、
  それを盗み聞きするためだったため
  ストーカー行為を働いていたようです。

  もうひとつ盗作と言えば、
  彼の補聴器を作り、
  テンポを計る機械を作った
  メルツェル・メトロノーム。
  彼もベートーヴェンの作品を
  自分のものと偽って発表したりしています。
  それは裁判までに発展しましたが、
  後に和解しています。

  それから別の話題。
  よく音楽室に飾られていた
  ベートーヴェンの肖像。
  あれも嘘ですね。

  マエストロ(巨匠)と呼ばれる人達を
  英雄的に描くのが流行った
  100年後の肖像画なのです。
  実際の絵は普通の男という感じです。
  そういえばナポレオンも同じですね
  (背も低く頭髪も薄く、
  馬には乗れずにロバに乗っていた)
音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字
音譜コダーイ(コダーイ・ゾルターン;Kodály Zoltán)
  1882年12月16日~1967年3月6日(享年84歳)
  ハンガリー;ケチュケメート
  作曲家。

  作曲家としましたが、
  教育者・言語学者・哲学者の
  肩書きまである優れた人物であります。

  彼はハンガリーの民族音楽を
  収集したことでも知られている
  バルトークにレクチャーしました。

  彼のレクチャーがなかったら
  バルトークの民族音楽研究は
  なかったかもしれません

  また日本では幼児期の音楽教育においての
  メソッドがよく知られています。

  彼に関してはかなり多くの
  関連機関が日本には存在し、
  ちょっとびっくりしてしまいます。
  他の国でもこんなにあるのかしら…
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音譜山本直純(やまもとなおずみ)
  1932年12月16日~2002年6月18日(享年69歳)
  日本;東京
  作曲家&指揮者。
  「うたえバンバン」「一年生になったら」、
  ピアノ狂詩曲「ヘンペラー」(冗談音楽)など

  上記以外にも「おばけのQ太郎」や
  「男はつらいよ」シリーズなど
  必ずどこかで聞いている音楽を多く作りました。

  父親も作曲家で指揮者だったことから
  早期音楽教育を受けていました。
  (ただし父親から直接ではないようです)

  出身は自由学園。
  毎週日曜に斎藤秀雄氏が指揮の指導に
  来ていたため、
  高校からはその勉強にも費やしたようです。
  同期には小澤征爾氏がいます。

  芸大へは1浪して入学、
  3年作曲科に在籍し、
  その後指揮科に転向します。

  当初は小澤征爾氏のように
  世界的に活躍する指揮者を
  目指していたようですが
  視力の低下と共に
  不安を覚え断念。
  徐々にポピュラーの世界へ
  足を踏み入れて行ったようです。
  
  存命時はよくバラエティー番組にも
  出演していました。
  黒縁めがねと個性的なひげが
  トレードマーク。
  その「露出」は芸術音楽への理解度を
  深めるための彼なりの演出だったようです。